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2007~2009年度プロジェクト
史料叢書「幕末風聞集」(史料集刊行)

翻刻にあたって

「論文5年、史料100年」

それは1999年の6月に、早稲田大学で拝聴した東京大学史料編纂所所長(当時)宮地正人氏の講演で耳にした言葉である。論文の命脈は、研究の発展によって、発表されてからせいぜい5年から10年持てばよいほうだ。だが、史料は、その時代や社会背景によっていろんな角度から何度も何度も読み返されて、新たな脈絡の中で捉え直されたり、あるいは、それによって歴史像の転換を図ることができる。そうした意味での史料の重要さを説かれたもので、そのためには何より目録づくりが重要なのだという話とともに、強く印象に残っている。当時、私は、東海大学の資料室(現学園史資料センター)に勤務し始めたばかりであった。それまではいわゆる自治体史編さん事業を主に、非常勤講師などで生業をたてていて、史料整理には相当経験を積んでいたものの、それはあくまでも近世文書の整理が主眼であって、大学史あるいは学園史という分野で史資料について考えていくには、アーカイブズという専門領域でそれをもう一度考え直す必要があった。もちろん、アーカイブズ自体に関心がなかったわけではないが、古文書整理を軸とした史料整理から本格的なアーカイブズへ。私自身のそうした転換点の中で、宮地氏の言葉は、一つの啓示のように感じられたのである。

後年、2008年から伊豆韮山(現静岡県伊豆の国市韮山)の江川文庫調査に参加したことで、図らずも宮地氏とはご一緒させていただく機会を得ることができ、近しくこの時の話をさせていただくことができた。宮地氏のその変わらぬ姿勢にまた、新たな感銘を受けたものである。

今回翻刻を試みた史料は、東海大学付属図書館が所蔵する古文書である(請求番T/210.58/F/1~5)。ここでは「幕末風聞集」と通称で呼ぶことにするが、表題は「風聞集」が主ではあるものの、必ずしも統一したものではない。内容的には、嘉永6年(1853)のペリー来航に関する記事から慶応4年(1868)の戊辰戦争までのさまざまな記事が、五巻にわかれて記載されている。それは例えば書簡であったり、文字通り風聞であったり、聞書であったり、文芸的なものであったりと情報の種類もさまざまである。

本史料が、付属図書館に所蔵されていることを知ったのは、実はたまたまではある。横須賀市史編さん室に嘱託として勤める神谷大介氏が、海防やペリー来航、開国に関する史料を収集する過程で、図書検索をしていて「発見」したものであった。神谷氏は、東海大学の大学院を出て、横須賀市史に勤務されていた。私もまた、横須賀市史の近世専門部会の一員として編さん事業にあたっていたのだが、早速、村山重治図書課長(当時)に頼んで、現物を拝見させてもらうことにした。現物の史料は、たいへん興味深く、実際、『新編横須賀市史』近世Ⅰにも「幕末風聞集 第一番」の中から、ペリー来航時における浦賀奉行所与力の「聞書」を収録させていただくことにした(№295号1834頁)。ただ、その史料的価値を考えれば、いつかはこの全文を翻刻して世に送り出したいとも考えていた。長い間自治体史編さんにかかわっては来たが、史料の分量が多ければ、残念ながらだいたいは抜粋を収録するだけにならざるを得ないのが実情である。いい史料であれば、できれば全文を翻刻した方が利用的価値が高くなるのは当然である。ましてやこのような「風聞集」「風聞留」といった史料は、どちらかというと信用性という面でまだ評価が定まっていなかったのであった。その反面、インターネットを中心としたIT=情報技術の大きな進歩とあいまって、研究史の面でも「風聞」や「風説」「噂」などの、いわゆる「情報」についての注目度が高くなっていった。宮地氏は、このような「風説留」の利用とその歴史的意義についてはじめて正面から研究として取り上げた方である(宮地正人『幕末維新期の社会的政治的研究』岩波書店)。だが、そもそも「風聞集」「風説留」の類が翻刻されて、活字化されるようなこと自体が少なかったのである。まずは、史料そのものの全体像を世に問うてみたいということであるが、もちろん、その根底には「史料100年」の思いがあったからである。

2007年、私は現職である東海大学教育研究所に勤務することになった。教育研究所では、研究の中核をなすコアプロジェクト研究のほかに、所員がそれぞれの専門分野で教育に関する研究を推進する個別プロジェクト研究を募集していた。「幕末風聞集」を翻刻することは、史料そのもののを世に送り出すと同時に、これをテキストとして授業の場で活かせるかもしれないと考えた私は、個別プロジェクト研究の一つとして、「歴史史料の翻刻と教育的活用に関する研究―幕末維新史料のテキスト化―」と題する研究を申請し、採択されることになった。研究期間は3年である。

個別プロジェクト研究を推進するためのメンバーにはまず、日蘭交渉史を研究されている総合教育センターの沓澤宣賢教授にサブリーダーとして、教えを請う形で参加していただくことにした。もちろん、付属図書館が所蔵する史料であるので、村山氏には史料の提供と管理という立場で参加していただいた。また、史料を翻刻するためにはまず、草書体で書かれたこの古文書を読まなければならない。読んで原稿に起こすか、今の時代だったら、ワープロに打ち込んでもらうことになる。通常、こうした作業を筆耕ないしは筆写作業という。だが、筆耕するにしても現物から読むわけにはいかないので、史料をデジタルカメラで撮影して、その写真版を読むようにしなければならない。さらに筆耕された原稿には、校正や編集が必要であるし、図版があればその処理も必要となる。こうした一連の作業を補佐してくれるメンバーとして、学園史資料センターの椿田卓士氏と目七哲史氏、そして先の神谷大介氏に協力していただくこととした。また、実際の判読、筆耕作業は、「さがみ古文書研究会」の加瀬大氏、椿田有希子氏、千田聡氏にお願いすることとした。いずれにしても五巻本で、総丁数が429丁におよぶ長大な史料である。丁数が429丁ということは、ページ数にすれば、優に850ページを超える。1年目と2年目は、この筆耕作業にほとんどの時間を費やさざるを得なかった。

筆耕作業を進めるいっぽうで、「幕末風聞集」自体を研究することももちろん重要な課題であった。具体的な内容の検討はもとより、関係文献や論文の精読、関連情報の収集など、課題は山積みであった。できれば、こうした研究には、大学院生を参加させたいと考えていた。幸い、神谷氏が幹事を引き受けてくれ、研究会の企画や手配、事務連絡にいたるまで積極的に進めてくれた。研究会の準備作業自体は1年目から始めていたが、3年目には、正式に「風聞集」研究会という名称で組織を立ち上げ、定期的に研究会を開催し、「幕末風聞集」翻刻・研究の母体とすることができた。この「風聞集」研究会には、先のプロジェクト研究メンバーとさがみ古文書研究会のメンバーに加え、本学大学院博士課程の塚越俊志氏、同修士課程の山本慧氏と菊地悠介氏が参加することになった。いずれも幕末・維新期を研究テーマにしている大学院生である。文献の輪読や「幕末風聞集」の検討は、彼らを中心に進めることとし、2009年度だけで9回の研究会を開催することができた。巻末の解説もこの研究会での報告や議論を基本として執筆している。

幕末・維新期の研究という面でいえば、2009年10月24日に本学文学部歴史学科日本史専攻が主催したシンポジウム「地域から考える横浜開港」に参加・協力できたことも大きな刺激であった。これは2009年が横浜開港150周年にあたることから、これを記念して、横浜開港資料館、横浜市歴史博物館と共催で開催したシンポジウムであった。シンポジウムには、さらに平塚市博物館や箱根町教育委員会、横須賀市史編さん室といった、それぞれの地域の研究の核となるような機関や組織にも協力をいただき、そこで活躍されている研究者とネットワークを結びながら進められた。大学も地域に貢献していくことが当然の時代であるが、実はこうしたネットワーク網構築の試み自体が斬新なものであったといえる。シンポジウムは、現在の神奈川県域、旧国郡名でいえば、相模国と武蔵国の都築郡・久良岐郡・橘樹郡に具体的な足場を置きながら、横浜開港という日本史上における大転換の問題を地域の視点から考え、捉え直そうとするものであった。シンポジウムのための研究会や打ち合わせも、「風聞集」研究会を進めていく上でたいへん大きな参考になった(拙稿「「開港期の相武地域史研究会」について『地方史研究』第339号参照のこと)。

本史料叢書の刊行は、こうした過程を経て進められた。まず何よりも本書が、教育研究所個別プロジェクト研究の一成果であることを確認しておきたい。個別プロジェクト研究を採択いただいた、安岡高志前教育研究所所長および吉川政夫現教育研究所所長に謝意を表したい。また、個別プロジェクト研究を進めるにあたって、こまごまとした事務手続きを進めていただいた渡辺律子氏にも同じく感謝の意を表したいと思う。

史料の判読や内容の検討にあたっては、宮地正人氏に貴重な助言をいただいた。さらに、2009年9月14日~16日に「幕末風聞集」の出自を求めて三重県松阪市を訪れた際には、本居宣長記念館の吉田悦之館長、松阪市教育委員会文化課郷土資料室杉本喜一氏にも貴重なお話しを伺うことができた。改めて厚く御礼を申し上げる次第である。

現行では、本史料叢書は翻刻が主で、実態をいえば、まだ中間報告の段階である。多くのご意見とご批判を仰ぎたいと思う。また、今後、授業への活用はもとより、内容そのもののについても研究の深化をはかりたいと考えている。

2010年3月

東海大学教育研究所准教授
東海大学「風聞集」研究会代表
馬場 弘臣

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2014~2016年度東海大学文明研究所コアプロジェクト
「震災復興と文明」

過去のプロジェクト

2013~2015年度
「東海大学の創立と発展に関する基礎的研究」 ※当プロジェクトは2014年の組織変更のため、廃止
2010~2012年度
「近代村落小学校の設立に関する基礎的研究」
2007~2009年度
「「風聞集」にみるペリー来航から幕末維新期にかけての社会変動に関する研究と関係史料集の翻刻」