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これは凄い!面白い!江戸後期 武蔵・相模国 村名マップ

いや~それにしても、久しぶりに凄いサイトに出会いました。どなたがお作りになったのでしょうか?

今回ご紹介しますのは、「江戸後期 武蔵・相模国 村名マップ」というサイトです。その名前の通り、江戸時代後期の武蔵国と相模国の村を現在の地図と合わせて、総覧できます。トップ画面はこんな感じです。

トップ画面

よくわかりづらいかも知れませんが、これで江戸時代後期の村々を網羅しているのです。このままでは細部がわかりませんので、アップしてみます。

神奈川県厚木市近辺

これは、ちょうど私が住んでいます神奈川県厚木市近辺を第2段階として拡大したところです。小田急線や東名や国道246号線に129号線、そして相模川などがありますから、現在と比べて、江戸時代の村々がどこにあったか確認できます。そしてこのマップのさらに凄いところは…。

相模国愛甲郡戸室村

これは、旧相模国愛甲郡戸室村をクリックしたところです。毛利庄というのは、中世までここには毛利庄という荘園があって、それが名残りとして江戸時代にも残っていました。そう、中国地方の雄、あの毛利氏の出身地なのですね。そして、ここの最下段に書いてあるURLをクリックすると…。

『新編相模国風土記稿』戸室村の項

なんと!国立国会図書館デジタルコレクションの『新編相模国風土記稿』の該当ページを表示してくれるのです。ほら、「戸室村」の項がちゃんと表示してありますね。

「新編相模国風土記稿」は、江戸幕府の昌平黌地理局総裁林述斎(衡)による建議で編纂された相模国の地理および歴史的事項を網羅した地誌です。126巻からなっています。『新編武蔵風土記稿』が完成した天保元年(1830)に着手し、同12年(1841)に脱稿しました。この編集に間宮士信・松崎純庸・三島政行ら27名が関わったと言われています。もっとも、「地誌御取調べ」という名目の調査とその結果を記した帳簿は、文政7(1824)から9年(1826)を中心とした時期に集中していますから、内容はおおよそ文政期(1818~30)のものと言ってもよいでしょう。

その前例となった『新編武蔵風土記稿』は、同じく大学頭林述斎を総裁として、幕臣間宮庄五郎士信ほか41名が編纂事業にあたっています。相模国より村数が多いですから、全257巻に編纂者名を記した付録1巻の計266巻からなっています。起稿したのが文化7年(1810)で、文政11年(1828)に稿を終り、天保元年(1830)に幕府に上呈されました。実に20年近くの歳月をかけて成った地誌で、最後の方は、「新編相模国風土記稿」の調査と重なっていたのですね。

そしてもちろん、『新編武蔵風土記稿』も表示することができます。

武蔵国多摩郡小野路村

こちらには、現在の東京都町田市に含まれる、武蔵国多摩郡小野路村の項を表示させてみました。「柚木領」とありますが、これは武蔵国内で「郡」とは別に「領」という行政区分がありました。もともとは小田原北條氏の支配領域だったともいわれていますが、江戸時代は、鷹場の支配と負担の単位などで使用されているようです。さて、『新編武蔵風土記稿』に飛んでみましょう!

『新編武蔵風土記稿』小野路村の項

この小野路村の名主家小島家の幕末期の当主鹿之助は、土方歳三と縁戚関係にあり、近藤勇や沖田総司らもこの小島邸で天然理心流の出稽古に来たりしています。土方が浪士隊として上洛するときには、刀を贈ったりする間柄です。ただいまは、「小島資料館」になっていて、新撰組のメッカの一つです。

つまりこれは、『新編武蔵風土記稿』と『新編相模国風土記稿』をもとに作成されたマップだということですね。武蔵国と相模国に限るとはいえ、ここら辺を「風土記稿」で調べたいときには、本で掲載されている巻数を探して、現在の自治体もしくは郡名を探して…といった面倒は手間を省くことができるのです。いや~凄い!!

ということで、こちらにURLを貼っておきますね(^^)

https://fudoki.midoriit.com/?x=139.76575928740206&y=35.69374187727693&z=10

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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