災害史としての流行病(はやりやまい)

歴史コラム
災害史としての流行病(はやりやまい)

新型コロナウィルスの影響はとどまるところを知りませんね。パンデミックオーバーシュートクラスター等々感染症に関するいろんな言葉も覚えました。

試みに3月23日段階での被害の状況を書き上げてみます。複数のネットの情報を集めていますので、多少齟齬があるかも知れませんので、そこはご容赦ください。

日本国内の発病者-1,128人     死者-42人
世界全体の発病者-33万1,129人  死者-1万4,462人
とありました。
国内で発病者の多いと同不念を調べると、北海道-161人、愛知県-134人、東京都132人、大阪府-113人となっています。大都市に多いのもさもありなんですね。

世界の趨勢を見ますと、ここでは発病者が1万人を超える国を挙げてみました。
中  国-8万1,093人   死者-3,270人
イタリア-5万9,138人   死者-6,077人
アメリカ-3万2,148人   死者- 499人
スペイン-2万8,572人   死者-2,182人
イラン -2万1,638人   死者-1,812人
フランス-1万6,689人   死者- 860人
最初にウィルスが検出された武漢を抱える中国の8万人が突出しているのはもちろんですが、イタリア、アメリカ、スペインあたりの勢いも凄いですね。ヨーロッパ圏内とくにEU諸国が目立ちます。何より死者の数がイタリアは突出しています。これに次ぐのが中国にスペインですか。アメリカは発病者の割には死者は少ないですね。

こうしてみますと、確かに日本ではまだよく押さえ込んでいる方だと言えるでしょう。ただ、この状態で、7月のオリンピックはどう考えても無理ですよね。例え、日本が落ち着いたとしても欧米がこの状態ですし、これから東南アジアやアフリカにも広まる気配を見せていますから、とても選手を派遣できる状態ではないですね。

そこでふと考えてみました。災害史をここのところの課題としてずっとやっていまして、災害と言えば、自然災害や人災も含めて、地震(津波)、火山の噴火、台風(暴風雨)、大雨洪水、旱魃、寒波、火災などをあげることができるでしょう。私もそのつもりで、元禄16年(1703)の関東大地震や宝永4年(1707)の富士山噴火の問題を取り上げてきましたし、1990年代の後半は、利根川や小貝川、牛久沼と言った地域の治水と用水の問題なども考えてきました。

そうした災害史の中にこのような流行病-感染病も入るのではないかということです!私が専門とする江戸時代史ではやはり「コレラ」が有名ですね。江戸時代のコレラには3度の流行があったそうです。

1回目は文政5年(1822)、2回目は安政5年(1858)、3回目は文久2年(1862)です。それぞれの死者については諸説がありますので、ここでは明言は避けますが、とくに2回目の安政5年が最もひどく、3年間続いたと言われています。この年は安政5か条約が結ばれて交易が始まった年ですから、異国船渡来が問題だ!ということで各地の寺社で祈祷などが行われたと言われています。この点は、どうも高橋敏先生の『幕末狂乱(オルギ-)-コレラがやって来た!』(朝日選書、2005年)に詳しいようです。安政2年(1855)の江戸大地震との連続面として、東海地方の事例について書かれてあるそうですので、さっそく取り寄せました。

こうやってコレラが気にかかるのは、そう言えば、2017年度の卒論でこの問題を取り上げた学生がいたなと思ったからでした。史料は、相模国三浦郡太田和村(横須賀市)の『浜浅葉日記』という農民の日記に出てきます。近辺に残っている日記をざっと見てみたのですが、これが1番詳しいようです。

と言うことで、少し読んで調べてみようかなと思っています!

『浜浅葉日記』全5集

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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