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後悔するから、論文は書いておこう!

宮崎駿監督の「風立ちぬ」という長編アニメーション映画で、カプローニというイタリアの飛行機製作技術者がイメージの中で、主人公に次のように語るシーンがあります。

創造的な人生の持ち時間は10年。君の10年を力を尽くして生きなさい。

映画の公開は2013年ですね。その時は何となく納得して、心に残っていました。その反面、いやまだこれからだろう。歴史学の世界では50代はまだ中堅とか言われているしなどとも思ったものでした。さすがに還暦を過ぎて今に至るとこの言葉が心に響いてきます。確かに自分自身が1番創造的に研究できていたのは、1980年代の末辺りから1999年頃までの10年ほどだったなと改めて思っています。自治体史の仕事でいろいろな史料をたくさん見て、いろんなことに興味を持って、考えて、論文を構成して…。1998年度に小田原市史、寒川町史、龍ケ崎市史の通史編と大磯町史の資料編を同時に出した頃がピークだなと今は思っています。それなのに当時は、将来、何らかの仕事について史料がみられなくなった時のために史料だけはたくさん抱えておこうとも思っていました。

小田原藩の藩政や組合村研究はもちろんのこと、朝鮮通信使通行にかかる役負担、牛久沼を中心とした治水史と利水史、東海道の幕末維新、大名から将軍への月次献上(産物献上)等などいろいろと考えて史料は集めていたのですが、ついぞ論文にしないままに今に至っています。1999年からは大学史資料室(現・学園史資料センター)に勤務し、2007年からは本学の教育研究所(現・教育開発研究センター)で専任となって、その間にもいろいろと仕事はしていました。しかしながら、本来やってみたかったことはそのままになってしまいました。いくらでも書こうと思えば書けたはずです。でも、あまりに時間が経ってしまうと、研究の潮流から遅れてしまいます。何よりその当時どんなことを考えていたのか、自分でもまとまらなくなってしまいます。私の研究スタイルは史料から構想していく実証的なものですから、未だにやる価値はあると思っています。ただ、現在までの研究史とどのようにリンクさせていくか…。というより、そもそも研究史が面倒くさい…。などといったら、学生、とくにゼミ生に顔向けができませんね(^^;)

やりたいこと、やってみたいこと、やれること、やれるだけはやってみましょう。だからこそ、言いたいですね。論文に旬があることも事実ですが、それ以上に書きたいことがあるならば、後悔するから絶対書いておこう!!ということです。

なんてことを考えながら、入門ゼミナールや卒業論文に向けてのパワーポイントなどを作ったり、修正したりしております。

こちらは昨年まで現代教養科目の一環としてやっていた「人文科学における歴史学」の中で、「歴史学研究のプロセス」として歴史学研究の手続きを照会するために作成した概念図です。それを卒業論文のためにいくらか修正を加えたところです。入門ゼミナールをやっていると、歴史学の方法論というのは、実に厄介だなと思います。自然科学系であれば実験、社会科学系であればアンケートやフィールドワーク、公的なデータ等などで証明していくことを歴史史料とという膨大な「資料」の海を書き分けながら組み上げていかなければなりません。社会科学系で言えば、文献調査と言えばすでに発表されている論文や研究書だったりしますし、そこから自分の説を立てていくようですが、歴史学ではそれは「はじめに」つまり序論の部分にしか過ぎません。そこから史料を集めて読み解いて、それは場合によっては古文書にもなります。それらを分析して場合によっては表にしたり、グラフ化したり、概念図を作成したり、そんなことをくり返しながら論を組み立てていきます。とくに近年は文字史料として残された文書だけではなく、図像資料をはじめ、いろんな「モノ」が歴史資料になり得ます。でも、やっぱり根本は「歴史的な史料」を読み解いていくことから始まります。そしてすべてのものは、事柄はすべてが「歴史的な資料」となっていきます。

荻生徂徠が言うように、結局すべての「学問は歴史に極まり候事に候」なのです(^_^)v

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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