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『幕末風聞集』④ 天誅組の乱

今回は『幕末風聞集 増補改訂版』の第二番中の史料について紹介しましょう。第二番の史料には天誅組の乱に関する記事が多いです。天誅組は、尊王攘夷激派の集団で、文久3年(1863)に起きた彼らの武装蜂起事件を天誅組の乱もしくは天誅組の変と言います。ここでは、『岩波日本史辞典』から「天誅組の変」を引用します。

1863(文久3)に尊王攘夷激派が大和に挙兵した事件。尊攘激派の土佐の吉村虎太郎や備前の藤本鉄石らは、大和行幸決定を見て天誅組(天忠組とも)を結成し、中山忠光(1845‐64,忠能の7男)を擁し、河内の庄屋らの参加も得て8.17に大和五条代官所を襲撃、本陣を置き、五条を朝廷領とし年貢半減を布告した。しかし、8月18日の政変のために情勢は一変し、十津川郷士1000名余を集めて高取城を攻撃したが敗北、十津川郷士も離反し、諸藩軍に吉野郡鷲家口(わしかぐち)の戦いなど、各地で敗北して壊滅した。吉村・藤本らは戦死し、中山らが長州藩に逃れた。

文久3年の将軍徳川家茂上洛、攘夷決行及び孝明天皇の大和行幸の決定、八月十八日の政変などと連動した事件だったのですね。私自身、天誅組についてはあまり詳しくはありませんので、『幕末風聞集』に収録された史料の紹介に徹したいと思います!こちらは54ページから55ページにかけて掲載された史料を書き下し文に改めたものです。

一、五条表より昨二十五日酉刻(とりのこく)別紙の通り差紙到来、驚き入り直様(じきさま)村方一統打ち寄り評儀(議)中に付き相定り申さず、心痛いたし居り候事に御座候
一、五条表の儀、十津川郷附属に相成り、得物を携え凡そ三千人計りも入り込み、尚吉野郡中よりも人足鉄炮所持千人計り罷り出で、都合四千人計りも五条表へ相詰め居り候趣(おもむき)、右に付き郡山・高取両家今日和州御所町御出で会いに相成り、それより五条表へ天誅組取り押さえに罷り出で連れられ候儀に御座候。外に藤堂・笹山等へ御加勢も御座候趣風評仕(つかまつ)り候。猶亦(なおまた)高取城へも夜前より天誅組入り込み彼是混雑の趣に及び承り候。これより右それじれ取り敢えず申し進め候。以上
  八月廿六日   次郎悴 秋山勝蔵
   辻四郎三郎様

差出人である次郎の忰という秋山勝蔵も、宛先の辻四郎三郎もどんな人物かわかりません。ただ勝蔵が、五条から昨日届いた書付に驚いてすぐに村方一統で集まって評議をしたというのですから、大和国五条(奈良県五条市)近辺の村であることは間違いないのでしょう。五条には幕府代官所があり、周辺の幕府領を管轄していました。8月17日ですから八月十八日の政変の前日ですね、天誅組は五条代官所を襲って、幕府代官の鈴木源内正信を殺害しています。その後、五条を天皇領とし、職制を整えた上で自らを「御政府」「総裁所」などと称します。2条目では五条が十津川郷の付属になって、得物すなわち武器を持って3000人ばかりも入り込み、さらに吉野郡からも人足や鉄炮を抱えた者たち1000人、合計4000人ばかりが五条に詰めているといっています。

これに対して、大和国郡山藩と同高取藩が同じく大和国御所町(ごせちょう・奈良県御所市)に集まって、天誅組を取り押さえにかかったと書かれています。この書状が到着する26日は、高取藩が天誅組に攻撃を開始する日です。また書状によると、伊勢国藤堂藩(津藩ともいう。三重県津市)や丹波国笹山藩(篠山藩。京都府丹波篠山市)も出兵するという風評があったとも書かれています。さらに天誅組は山城としても有名な高取城に集結しているということで、決戦前夜の緊張した情勢を伝えています。

そして、その別紙というのがこれです。

ちょいと『幕末風聞集』の裏表紙も紹介させていただきました(^_^)vこちらも書き下し文に改めてみましょう。

    覚え
一、先達て申し達し候地(この文字はこのまま)百石に付き一人宛(あて)兵丈けの得物を携え、この状着、即刻五条政府の馳せ参るべき者(ここら辺はちょっと表記がおかしいですね)、もし遅寛及ぶにおいては曲事(きょくじ)たるもの也
  八月廿五日     吉村寅太郎
          渋谷伊与作
          水郡善之助
  庄屋
   年寄中

吉村寅太郎は、『岩波日本史辞典』にもあるように、一般的には虎太郎とすることが多いですね。土佐藩の出身で、天誅組では「総裁」を務める中心人物の一人です。また、水郡善之助は善之祐とも書き、河内国の大庄屋・神主で、天誅組では小荷駄奉行をい務めていたと言われています。また、渋谷伊与作ついては詳しいことはわかりませんが、『幕末風聞集』56ページの史料から、長州藩の出身で天誅組では「郡司」を務めていたとあります。

そして肝心のこの「別紙」の内容は、吉村らが五条周辺の村々の庄屋・年寄に対して、村高100石について1人ずつ武器を持って兵として「五条政府」に馳せ参じることを命じたものです。もし遅れることがあったら曲事、つまり処罰をするとまで言っています。

56ページには表題として「和州五条乱妨一件聞書」とある詳しい記事が掲載されていますので、天誅組の乱にご興味のある方はぜひお買い求めください!!と、宣伝して、続くことにしたいと思います。

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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