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16世紀後半の戦国大名

3連休もあっという間に終わってしまいましたね。ニュースでは最終日には東名高速が60Km近くも渋滞していたとか。ここのところ、新型コロナウィルスの感染者が急激に減少していますし、ワクチンを2回打った方が50%を超えたそうですから、何となく安心感が生まれているようですね。冬のことを考えるとまだまだ安心はできませんが、やはりWithコロナを真剣に考えて行かなければならないでしょうね。まぁ~私自身、この3日間は秋学期の準備でどこかに出かけるような気分でもありませんでしたけれど…。

ただいま、文理共通科目の知識とコミュニケーションでやっている「江戸学と現代社会」について教科書を作成していると書きました。今はっきりしていることは、授業開始にはとても間に合わないということです(^_^;)ずっとやっていてもそんなもんですかね。

ページも押さえますし、図版など著作権に引っかかるものはいっさい使いませんので、図表も概念図もオリジナルなものを作成しています。そもそもが戦国時代から元禄期(1688~1704)の100年あまりを扱うつもりです。かぶき者が中心になるので、ぜひとも図版は使いたいところですが、経費を抑えるのでしかたがないですね。

戦国大名も地図や図版など既存のものが使えたらよいのですが、そうも行かないので、とりあえず、次のような表を作成してみました。

まぁ小さくてこのままでは見えませんね。当時の有力戦国大名の年齢を比較した表です。この戦の時はこの大名は何歳で、こちらは何歳か…などととりあえず、図版(肖像画)の代わりになるようにしています。

そこで気がついたのですが、秀吉が全国が統一する過程では、各地で統一化の動きがかなり進んでいたのですね。戦国史の研究者では当たり前のことだったのでしょう。中国では毛利氏が、四国では長宗我部氏がほぼ統一を果たしていて、本能寺の変が起こった時に秀吉は毛利と闘っていたわけですが、四国でもかなり画策をしていたのですね。また、九州では豊後の大友氏はずいぶんと勢力が衰えていましたし、肥前竜造寺氏は沖田畷(おきたなわて)の戦い(長崎県島原半島)で戦死していますから、実質、島津を押さえればいいのだと。また、関東の北条氏や奥羽仕置などもそうなんだなと改めて実感した次第です。

何も新しいことはありませんが、とにかくやってもやっても尽きないのが歴史だなと改めて思っています。

 

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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