富士山は噴火するのか?

歴史コラム
富士山は噴火するのか?

正月は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

改めていうまでもなく、一休宗純禅師が詠んだとされる歌です。「正月や」だとか「門松や」だとかいくつかの説があるようですね。いずれにしても、正月で浮かれる人々に、人生の儚さと、それでも生いきていくことの意義を説く歌だと思っています。

何だか三が日が過ぎたらとたんに物騒な話をしていますが、それはこんな記事を見つけたからでした。

富士山噴火「すでにスタンバイ状態」と京大名誉教授 南海トラフと連動する可能性

少し抜粋すると、東海大海洋研究所地震予知・火山津波研究部門の長尾年恭客員教授によれば「864年の大噴火の後には、869年に東北で貞観地震(M8・3)、878年に関東で相模・武蔵地震(M7・4)、887年(M8・0〜8・5)に西日本を中心に広い範囲で仁和地震が相次いで起きている。」「同じように1707年の大噴火の際には、49日前に南海トラフ沿いで宝永地震(M8・6)が起きている。4年前の1703年にも元禄地震(M7・9〜8・2)が起きている。」が、そのいずれも南海トラフを震源とした地震と関係している。現在もまた、南海トラフの地震と連動して富士山が噴火する可能性が高くなっているということでした。詳しくは、上記しております記事のタイトルをクリックしてご覧ください。

授業や講演で宝永4年の富士山噴火の話をする時に、私もよくそういうことをいってきました。確かにこの時は、4年前の元禄16年(1703)11月23日に小田原地方を中心に大地震が起きています。とくに伊豆半島では津波による被害が大きかったのでした。そして富士山が噴火する宝永4年の10月4日には東海地方から四国・九州にかけて大地震が起きます。また、静岡から神奈川にかけて11月22日の夜から数十回にわたる震度4程度の地震が続き、翌23日のお昼前、富士山南東斜面が大爆発を起こします。富士山噴火についてはこの歴史コラムでも何度が書いていますので省略しますが、とにかく宝永富士山噴火の特徴は、大量の火山灰が16日間にわたって降り続いたことでした。噴火が収まったのが、12月8日のことで、新暦に直せば12月31日の大晦日になります。宝永4年は亥年でしたから、10月の大地震が「亥の大変」、富士山噴火が「亥の砂降り」と呼ばれています。確かにこの時に降った火山灰は灰というより黒い砂なんですよね。

こちらは2016年の秋に伊豆の小室山(静岡県伊東市)で撮った富士山の写真です。宝永噴火の跡については、湘南キャンパスから見える風景をこのサイトでも何回も紹介しています。湘南キャンパスからは富士山の左側に噴火の跡が見えますが、小室山から見るとほぼ真正面に見えます。せっかくの富士山の美しい姿からすれば、この噴火跡はやはり残念ですね。

小室山にはもう一つ貴重な史跡があります。

小室神社といいます。小さなお社があるだけですが、祀ったのは小田原藩主で老中の大久保忠増(1656~1713)でした。忠増は元禄11年(1698)に藩主となっていますから、それから5年後に元禄大地震に遭遇します。小室神社は、津波で亡くなった伊豆半島の小田原藩領民のために勧請したそうです。

ちなみに忠増は宝永2年(1705)に老中に就任していますから、その2年後に富士山噴火の被害を受けたことになります。この2つの被害がその後の小田原藩政に重くのしかかっていったことは改めていうまでもありません。小室山はこの2つの大災害を体験できる場所でもあるのです。

これらについては、先日も書きましたように東海大学文明研究所の紀要『文明』19号(2014年)、21号(2016年)、23号(2018年)で論文発表していますので、これをまとめて一書にしたいと思っています。年貢や俸禄米などのデータを中心に復興過程を分析していますので、できればカラー版で出したいと思っています。

それはそれとして、私が生きている間に富士山は噴火するのでしょうか?ないとはいえないのが現状なのです。もし、それが宝永噴火と同じ規模の火山灰を噴き出すとしたら、その被害は江戸時代の比ではないかも知れません。高度な文明の発達は、それに頼る生活であればあるだけ、その被害は甚大なものになっていくということです。

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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