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幕末維新の騒乱と東海道Vol.16 府藩県三治制

箱根山崎の戦い」が終わってからも戊辰戦争の戦火はさらに広がりをみせていた。奥羽越列藩同盟の結成が慶応4年(1868)5月のことで、東北地方から北海道が新たな戦場になっていった。だが、そうしたなかにあっても新政府は、自らの体制固めのために新たな政策を矢継ぎ早に出していった。3月4日には、天皇が神々に誓う形で公議政治を標榜した五箇条の御誓文が出され、天皇主権の確立と新政府の政治的強化がはかられた。これにもとづいて、閏4月21日には、新政府の政治大綱や官職制度を定めた政体書が発布された。ここでは太政官を中心とした中央の官制が整備されたが、地域の明治維新にとってとりわけ重要なのは、地方制度として府藩県三治制が定められたことである。新政府は、旧幕府領や戊辰戦争で敵対した諸藩の領地を没収して直轄領とし、順次、鎮台や裁判所を置いていった。これが政体書の制定にともなって、新たに府と県を設置し、旧来の藩とあわせて府・藩・県の三者がそれぞれに統治する体制が敷かれた。これが府藩県三治制である。府は、東京・京都・大阪の三都や開港場、そのほか特殊な要地に置かれたが、藩籍奉還後の明治2年(1869)8月に三都に限定された。また、旧幕府領に準じて旗本領も上知されて、県の統治下に置かれるようになった。

相模国と武蔵国久良岐・橘樹・都筑の3郡からなる現在の神奈川県域では、まず慶応4年正月に旧幕府領や旗本領および寺社領の行政を管轄する機関として横浜裁判所が置かれた。この場合の「裁判」はいわゆる司法を意味する語ではなく、物事を治めて管理することや所務を取り仕切ること、または民政を管理することをいう。別に「宰判」とも書く。その機関としての裁判所なのである。横浜裁判所は、同年4月には外交や貿易に関する業務を神奈川奉行から引き継いで神奈川裁判所となる。さらに6月17日に神奈川府と改称され、9月21日に神奈川県となった。この同じ月、9月8日には、慶応から明治へと改元され、天皇の一世一代制が定められた。

それから2か月後の明治元年(1868)11月6日、神奈川県裁判所から神奈川10里以内の宿村々を神奈川県支配とする通達が出された(『大磯町史』2近世No.246)。以来は、年貢の収納に関することははもちろんのこと、さまざまな「仕置筋」についても適切に処理するので、心得ておくこと。また、訴訟・吟味に関することや、そのほか諸願い・諸届けなども神奈川県裁判所に訴え出るようにとされた。神奈川(宿)から10里は西方がちょうど酒匂川近辺にあたり、小田原藩領と境を接するところである。これは開港後の横浜周辺の外国人遊歩場と重なるもので、この範囲はすべて神奈川県の支配下にはいることが正式に宣言されたのである。ちなみに県の行政機関はそのまま「裁判所」と称していたから、ここでは神奈川県裁判所が県の機関であるが、明治3年(1870)3月に神奈川県庁と改称された。

改めていうまでもなく、この地域は旧幕府時代、旗本領をはじめとして、幕府領に藩領、そして寺社領などが複雑に入り組んでいて、しかも1村が複数の領主に分割されて支配される相給(あいきゅう)の村がかなりの割合を占めていた。それらを含めて、県下の支配と行財政の1本化がはかられたわけである。ただ、藩領の存在を含めるとまだ完全に集権化されたわけではなかった。府藩県三治制のもと、神奈川県下の相模国と武蔵国3郡の範囲内で居所があるのは、小田原藩・荻野山中藩・六浦藩の3藩だけであったが、諸藩の飛地領や相給形態はそのままであったから、場所によっては、県と藩との入り組んだ支配形態が残される結果となった。とりわけ大磯周辺にはそれが顕著であった。

図は、淘綾郡を中心とした東海道大磯周辺の支配関係を図示したものである。淘綾郡では大磯宿と東小磯村・川勾(かわわ)村(神奈川県二宮町)が、大住郡でも平塚宿・平塚新宿・須賀村(以上平塚市)が宿も村もまるごと小田原藩領であった。また、西小磯村・国府本郷・国府新宿・寺坂村・生沢村に山西村(二宮村)などが神奈川県と小田原藩に両属している村であった。さらにいえば、根坂間村(平塚市)は1村すべてが六浦藩領であり、二之宮村(二宮町)は、神奈川県と六浦藩両属の村である。そして実は、寺坂村と生沢村にはまだ、旧旗本で、それぞれの相給領主であった村越氏の分の知行地がそのまま残っていた。二之宮村もまた神奈川県と六浦藩以外に、やはり旗本であった曽我氏の知行地が残っている。その理由については不明である。このほか、高麗村(旧高麗寺村)が高麗明神社領の村であった。

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投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
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