豊臣秀頼の礼状を発見 新湊博物館 (北日本新聞) – Yahoo!ニュース
豊臣秀吉の三男・秀頼が加賀藩3代藩主、前田利常に宛てた礼状が、射水市新湊博物館(同市鏡宮)の調査で見つかった。徳川家康が江戸幕府を開いてから、豊臣家を滅亡に追い込んだ大坂の陣(1614~15年)までの間に書かれたとみられる礼状で、同博物館は「豊臣、徳川両家に対する加賀藩のしたたかな両面外交を示す史料」としている。
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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170629-00080971-kitanihon-l16
>これについては是非ひと言言いたい。もっと古文書学的に解説しなければだめ!これは単なる「礼状」ではなくて、正確にいえば「御内書様」の答礼。別に前田家に限ったことではなく、島津家などにも秀頼は同様の答礼を出している。問題は、この文面が将軍家の御内書と同様であること。御内書は、将軍が直接書状を出す形態が定式化したもので、室町時代から始まった。つまり将軍家と同様の御内書様の答礼を秀頼が出していることが問題であって、したがって古文書学的には秀頼が将軍家と同様の地位を占めている可能性を示している。ただ、これが朱印状でなく、黒印状であったとしたら、その分の遠慮はあるかも知れない。また、「初物」については他に「服属儀礼」にあたるという見解もある。ただ、まだここら辺についてはまだ研究が進んでいませんけどね。
※写真は、端午の時服献上に対する小田原藩主大久保大蔵大輔忠興宛9代将軍徳川家重御内書
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