幕末の元治元(1864)年、水戸藩浪士が起こした倒幕運動「天狗(てんぐ)党の乱」で、鎮圧に向かった幕府軍が敗れた和田峠の戦い(長野県)の様子を長浜市高月町西野で庄屋を務めていた人物が県内の宿場町で聞き書きした資料が、同地区の子孫の家で見つかった。当時、天狗党は京都を目指して進軍中。県内の通過も予想されたことから、地域の有力者が積極的に情報収集していたことがうかがえるという。
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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180829-00000036-san-l25
>天狗党の乱については、まだまだ研究が少ないようです。広範囲にわたっていますから、いろいろなところに史料が残っていると思います。史料の発掘が進むといいですね。ところで、クラウドファンディングでただいま翻刻作業を続けている小田原藩士の記録「吉岡由緒書」には、禁門の変の後、一橋慶喜にしたがって、小田原藩が敦賀に出兵した際の詳細な記述があります。武田耕雲斎の降伏状なども載っています。下の図は、「吉岡由緒書」の中のものです。「木ノメ峠」つまり北陸と関東を分ける北陸道の関門である「木ノ芽峠」に「浪士」が屯集していたこと。そのすぐそばに小田原藩兵が陣を構えていたことが分かります。図では、反時計回りに90度回転させていまして、下側が敦賀から日本海、上側が琵琶湖で、ここに慶喜は陣を構えています。なかなか興味深い史料ですよ(^_-)
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