《緒形拳研究会》緒形拳と新国劇

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《緒形拳研究会》緒形拳と新国劇

連日の連続投稿です。既報の通り、ボツボツと「軌跡-名優緒形拳とその時代」の展示会準備をしております。その第1コーナーは、これまた新国劇なのですが、意外と主要なメンバーがそろったポスターというのは残っていないのですね。

さて、新国劇とは、1917(大正6)年4月、芸術座を脱退した澤田正二郎を中心として、倉橋仙太郎、金井謹之助、渡瀬淳子らによって結成された劇団です。澤田は、歌舞伎と新劇の中間をゆく新しい国民演劇の樹立を目指し、「民衆と握手せよ、而(しか)して片足のみは不断に民衆より半歩を進めよ」と「演劇半歩主義」を主張しました。「国定忠治」や「月形半平太」などの当たり役で、迫真的な立ち回りを演じる「剣劇」を創案しています。これは旧劇としての「歌舞伎」の殺陣が、形式的なものになっていたために、「演劇半歩主義」を掲げる澤田は、よりリアルな殺陣を求めた結果でした。そこの伝説の殺陣師で新国劇頭取であった市川段平の存在がありました。長谷川幸延が「殺陣師 段平」として戯曲化し、1949(昭和24)年に新国劇が有楽座で初演しています。いわゆる「チャンバラ」もここからきているのですね。

大正から昭和にかけて大きな発展を見せた新国劇でしたが、1929(昭和4)年3月に澤田の急逝で危機に陥りますが、性格から芸風まで対照的な辰巳柳太郎島田正吾の抜擢が功を奏して人気を呼び、引き続き演劇界に確固たる地位を占めました。戦後も北條秀司作「王将」「霧の音」などの名作を得て人気を保ってきましたが、1970年代頃から、大幹部の辰巳・島田の高齢化、若手の脱退などで衰退にむかい、1987(昭和62)年8月、新橋演舞場での劇団創立70周年記念公演を最後に解散しました。

緒形さんが新国劇に入団したのは、1958(昭和33)年のことで、北條秀司先生の紹介によるものでしたが、北條先生仲介したのが娘の美智留さんで、これは美智留さんが緒形さんの次兄と俳優座養成所で同期だった縁によるものでした。

1958年は私が生まれた年で、緒形さんには「君は僕が入団した年に生まれたのか!そうか…」と感慨深げに言われました。新国劇が緒形さんの俳優人生のまさにスタートだったのですが、入団してから10年、1968(昭和43)に退団します。展示会では、その10年の歩みとその後の交流について取り上げますが、ちょっとスペースが足りないかも…(^^;)

下の写真は1962(昭和37)年頃に上演された「殺陣師 段平」で、主演の段平を島田正吾さんが、澤田正二郎を緒形さんが演じています。新国劇は時代劇だけではないのです。

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