緒形拳展直前情報 痛さに見合うだけの…。

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緒形拳展直前情報 痛さに見合うだけの…。

「俳優 緒形拳とその時代-戦後大衆文化史の軌跡-」展の設営で腰を痛めたと書きましたが、2日過ぎると今度は内股が痛くなってきました。ずっと中腰でしたから、今まで使ったことのない内股の筋肉を酷使したようです(^^;)2日後に痛みが出てくるところに歳を感じます。

さて、前回5つのメインコーナーについてお話ししましたが、年代で分けるとざっとこんな感じです。

①新国劇時代の緒形拳…新国劇に入団した1958年から1968年に退団するまで。時代は高度成長期にあたりますね。この時代に第2回NHK大河ドラマの「太閤記」で主演し、第3回「源義経」で弁慶役をやっています。舞台からテレビへの流れですね。ここでは時代劇を堪能してもらおうと思っています。もちろん「弁慶立ち往生」の写真もありますよ。ただ、新国劇は、いわゆる剣劇だけではなく、現代劇や新劇などもやります。でも、ここはあえて時代劇中心で行きたいと思っています。何せ写真がたくさん残っていますからね。

②テレビから映画へ…新国劇を退団した1968年から1970年代までの時期です。新国劇を退団した緒形さんはまずテレビに進出します。自らこの10年あまりを「てれび他流試合」といっているほどで死からね。ここで「必殺仕掛人」の藤枝梅安が出てきますが…。そこから映画への進出が始まります。「鬼畜」と「復讐するは我にあり」が有名ですね。緒形さん40代です。「鬼畜」では第2回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞やブルーリボン賞などさまざまな賞を受賞します。もちろん、日本アカデミー賞のブロンズ像も展示しています。まぁ時代は大学紛争やら何やらで不穏な時期を経て、オイルショックので高度経済成長が終わりを迎えますけれどね。

③多様化する大衆文化の中で…緒形さん映画出演全盛期の80年代です。世の中はバブル経済をピークとして沸き立つ時代です。でも、日本映画は斜陽産業ですし、新国劇のような大劇場を中心とした演劇はさらに下火になって、新国劇はついに解散してしまいます。光と影が織りなす1980年代です。

④転換期の時代に…1990年代はまさに世紀末。バブル経済は崩壊し、後から失われた時代へと入って行きます。緒形さん、さすがに50代を迎えて、少し変化があるようです。模索の時代でしょうか?そもそも世の中が模索の時代です。そんな中で1995年にWindows95が発売され、インターネット普及の下地が整います。

⑤舞台への回帰…2000年代です。惜しむらくは2008年に緒形さん、亡くなってしまいます。そうした2000年代で目につくのは、映画やテレビにももちろん多く出演されていますが、舞台に、それも小さな舞台で全国を廻るというが一つのメインとなるのではないかと言うことです。それを舞台への回帰ととらえています。その反面、インターネットはますます普及し、2007年のiPhoneの登場は、人々の生活を根本から変えていきます。

ちょっと一端を触れてみました。これらはホントにほんの一端です。

ポスターなどもだいたいは壁に掛けて、それぞれのコーナーを彩る細工もできてきたと井上副館長も言っていました。下の台ももっと変わっています。何せ1番最初の段階ですから。次は30日に作業に行きます。さて、どんな風になっているでしょうか。

おっと、まだまだキャプションが終わっていません。年表も同時進行です。頑張らねば…。だんだんと寝ていられなくなってきました。今日から授業が始まったのですが、しょっぱなからトラブル続きでした。何せ、Googleドライブにアップしていた動画が忽然と消えてしまうのですから…(^^;)

ま、何よりも腰と内股の痛みに見合うだけの展覧会には、何としてもしたいものです。

続きます(^^)/

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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