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オンライン講座を開催します!

1月の3連休も終わったところで、少し落ち着いてきたでしょうか?私にもコロナ禍の影響が出てきまして、今月の16日(土)、19時から「徳川家を楽しむ会」第10回記念例会を東京でやる予定だったのですが、オンラインに変更になりました。時間は変わりません。Zoomを使って行なう予定です。

講演のタイトルは「小田原藩主大久保忠真の改革と二宮金次郎」です。小田原藩13代目藩主大久保忠真は天明元年(1781)12月2日に江戸藩邸で生まれ、天保 8年(1837)3月9日に享年57歳で没しています。あまり全国区の人物ではないですが、化政~天保期の藩政改革を主導した藩主で、「中興の祖」とも言われ、小田原藩政史を考えいく上では欠かせない人物です。また、小田原藩の藩主としては8代忠増(1656~1713)以来、久しぶりに幕府老中を務めています。ただ、化政期とくに文政期(1818~30)は11代将軍(1773~1841)の治世下にあって、老中水野忠成(ただあきら 1762~1834)が権勢を振るった時代で、その後に忠真は老中首座兼勝手掛となるのですが、天保飢饉の最中に亡くなりますので、幕政としては顕著な功績は見られません。

ただ、幕政においては間宮林蔵(1775~1844)や川路聖謨(1801~68)などを取り立て、藩政においては二宮金次郎(尊徳 1787~1856)を取り立てられたことで知られています。この頃の幕政改革・藩政改革で必須の人材登用というやつですね。

向かって左側が大久保忠真の原像で、右側が昭和の初期に描かれた模像です。小田原城の天守閣にはこちらの方が展示してありますが、かなりデフォルメされていることがわかります。原像は今は行方知れずですから、もっとそのまま模写して欲しかったですね。

こちらは二宮金次郎の画像です。金次郎は身の丈6尺(180cm)を超えた大男だったとか…。薪を担いだ金次郎の像とはかなりイメージが違いますね。もっとも、金次郎が山から採ってきたのは薪ではなくて柴なんですけれどね。

それでは大久保忠真の藩政改革とはどんなものだったのか?その中で二宮金次郎はどのように位置づくのか?

よく藩政改革の失敗の要因として、金次郎の政策を全面的に取り入れなかったことが指摘されたりしますが、これ自体は根本的な間違いです。藩の財政などはそんな簡単なものではないのです。

そもそも小田原藩はなぜ改革が必要であったのか?また、この時の改革はこれまでの改革とどのように違うのか?さらに他藩の改革とはどのような共通点があり、違いがあるのか?「改革」流行の現代だからこそ、ちょっとのぞいてみたいところです。180年ほど前のことですから、時代も社会も違いますが、大きな共通点もあります。どんな?

なんて話をしていこうと思いますが、これを全面的に話をしようと思ったら、90分ではとても足りません。ただいまどこに焦点を絞るかまだ悩んでいます(^^;)

譜代藩の藩政改革についてはそうそう研究も多くないので、興味のある方はぜひ視聴していただければと思います。チケットはPieatix(ピーティック)というサイトで購入できるそうです。下記にURLを貼っておきます。1500円です。よろしくお願いいたします!

https://peatix.com/event/1755465?utm_medium=web&utm_source=results&utm_medium=%3A%3A%3A0%3A1755465&utm_campaign=search

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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