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お題No.14の解答 私弟家出につき

3月に入りましたね。1月はいく、2月はにげる、3月はさると言いますけれど、きっとあっという間に新学期が始まるのでしょう。やれることをやっておかねば…。

今回は前回ご紹介しましたように、お題No.14の解答です。考えてみたら今までずっと「回答」にしていましたね。面目ない。それにしてもお題No.14は、虫食いはあるわ、下書きだから書き直しはあるわで、ちょっと読みにくかったですね、しかも行間に書き直している部分が読みにくい。ちょっと往生しました。でも、例え虫食いであっても、字画が残っていれば読むことができるという格好の材料でもあります。では、いってみましょう!

お題No14の古文書

表書
裏書

お題No.14の筆耕

書き下し文

    恐れ乍ら書付を以て御訴え申し上げ奉り候
御支配所豆州田方郡土手和田村組頭勝蔵申し上げ奉り候。私弟周吉儀、当申廿二才に相成り候処、去る未十一月廿日夜風(ふ)と家出致し立ち戻らず候間、親類・組合のもの共心当りの所々相尋候らえども、行衛一切相知れ申さず、右は内借相嵩み、返済方に差し支え苦難仕り候と存じ奉り外心当りの廉これ無く、恐れ乍らこの段書付を以て御訴え申し上げ奉り候。以上。

(裏書)
前書の通り訴え上げ候所、今廿五日より来る九月廿八日迄百八十日の間、尋ね方仰せ付けられ、毎月名主宅え寄り合い、親類・組合のもの共心当りの所々滞り無く相尋ね、見当り候らわば召し連れ訴え出るべし。若し見当らず候らわば、翌廿九日訴え出るべき旨仰せ渡され、承知畏み奉り候。これ依り御受書差し上げ申す処件の如し。

解説

伊豆国田方郡土手和田村の組頭勝蔵が、22歳の弟周吉が 文久3年(1863)11月20日の夜に家出して戻らないことを伊豆韮山(現・静岡県伊豆の国市韮山)の江川代官所に届け出たもの。「風与」と書いて「ふと」と読み、このような家出を「ふっと出(で)」もしくは「ふと出」とも称した。土手和田村では親類や組合が心当たりの場所を捜したが、一向にゆくえが知れないという。この場合の「組合」は「五人組」のことである。五人組は、村や町の住民を近隣の5軒程度を単位として組み合わせた組織で、治安や年貢上納、行政などについて連帯責任をとらせた制度であった。
史料では表題に「訴え」とあるが、必ずしも訴訟に関係した文言ではなく、このような届け出や報告の場合にも使用される。周吉の家出については、内借(借金)が嵩んで返済に窮したためであろうとしているが、心当たりがないために韮山代官所に届け出たのであった。

この史料には「裏書」がある。この件に関する韮山代官所からの受書(請書 うけしょ)である。受書とは命令や依頼に対して、確かに承知した旨を書いて提出した文書、承諾書のこと。

この受書によれば、韮山代官所ではまず、この届書を提出した3月25日から9月28日までの180日間の探索を命じている。毎月名主宅に集まって、親類や五人組の者共が心当たりを尋ね、もし見つかれば召し連れて訴え出すこと。もし、見つからないようであれば、9月29日にその旨を訴え出よという。
ここでは180日と期限を切っているが、正確にはまず30日探索し、それでも見つからなければまた30日探索することを6回くり返す。その合計が180日で、これを「六つ切り尋ね」(むつぎりたずね)という。六つ切り尋ねの結果、見つからなければ、村町の人別帳から除かれることになる。今でいう除籍処分である。

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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