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お題No.015の解答 江川代官所より達書

ひさびさのlet’s古文書です。この古文書の出題をしたのが、3月7日のことで、それ以来回答もしていなかったのですね(http://www.ihmlab.net/tweet/komonjo/11005/)。たいへん失礼いたしましたm(_ _)mということで、年末になって、ようやく解答編です。まぁ~実は内容的にはたいしたことはないので、ざっくりといきましょか!まずはこちらが古文書の写真でしたね。

江川代官所からの達書につき土手和田村惣百姓連印

お題No.15の筆耕

【書き下し文】
今般御支配御役所様より仰せ渡され候趣左の通り急度(きっと)相守り申すべき事
一博奕・賭けの諸勝負堅く仕るまじく候。并びに宿決して仕るまじく候事
一小百姓共絹縮緬は勿論、紬等にても襟・袖口等も用うべからず。尤も木綿小倉帯その外堅く仕るべからず候事。
一村役人にても羽織等の儀、麻・木綿の外着用すべからず(ざる)事
一塗緒・塗下駄・雪駄(せった)并びに蛇の目傘・ひがさ等決して相成らず候事
一女人髪の具・鼈甲(べっこう)銀の笄(かんざし)決してさすべからず(ざる)事
一銀きせる并びに銀かなぐ・煙草入れ等決して相成らざる事
一家居□□□平常莞(ふとい)・筵(えん)・むしろ等の外堅く用べからず(ざる)事
一祝言の振舞いその外家広并びに小(子)供祝儀にても一汁一菜過ぐべからざるの事
一近頃若もの共遊宴催し美肴好み、金銭費し候儀間々これありる由相聞け不埒(ふらち)至極(しごく)候。自今(じこん)急度相慎み罷り候事有るべく候事
一男女小(子)供祝儀の事。近来追々木綿幟(のぼり)相成り、雛の儀も身分不相応花麗に相成り候間、幟は向後(こうご)紙幟に限るべし。雛の儀も飾りも花麗に相成ざる様古え(いにしえ)これに准じ、都て(すべて)質素専一に致すべく候。相背くにおいては、その品取り上げ急度沙汰に及ぶ条、心得違いこれなき様致すべく候事
右は近来村方連々困窮および候処、別して(べっして)去々未年以来凶作打ち続き、然る処に当春に至り諸色共価高直(たかね)にて既に百姓一同飢命及ぶべき所御支配様より格別の御慈悲を以て度々御救いに預り、命を鑑み有り難き仕合せ(しあわせ)存じ奉り候。これ依り御支配様より仰せ聞かされ候は、全躰(体)小百姓共近来奢りに長じ、農業を疎かに致し、前条を背き候より自然と困窮に及び、御支配様迄御苦労相掛け候段不埒至極候。□□□条の趣急度相守り、聊か(いささか)奢りがましき儀これなき様仕るべき旨仰せ渡され、逸々(いちいち)承知畏み(かしこみ)奉り、急度相慎み申すべく候。これ依り惣百姓一同連印仕り候処、仍って件(くだん)の如し

【解説】
伊豆国韮山(静岡県伊豆の国市韮山町)の江川太郎左衛門幕府代官所から、同国国田方郡土手和田村(同町)に宛てて出された定書に対する惣百姓の連印状である。つまりここでは、代官所からの申し渡しを了承したことを示す。
天保8年(1837)は、いわゆる天保の飢饉の真っ最中で、その中でももっとも被害が甚大だと言われている天保7年の飢饉の翌年にあたる。本文中の「別して去々未年以来凶作打ち続き」という文言がこれを物語っている。博奕ならびに賭け事の禁止を申渡した第1条をはじめ、全10条の内容は一般的なもので、江戸時代後期の農村の風俗が次第に奢侈に偏っている状況を戒めている。文字も比較的平易なもので読みやすい。
なお、この時の代官は江川英龍であった。

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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