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お題No.16 韮山江川代官御仕置条目

let’s古文書は、今年の1月16日から止まっています。何とも申し訳ない次第ですm(_ _)mその時のお題No.16は回答なしで来てしまいました。今さら感も強いですし、長文を解読する気力もないので(かなりひどい言い訳ですね ^^;)ここは一つ、勝手にリニューアルといきたいと思います。だからNo.16もいったん止めます。新たにNo.16となりましたのは、こちらです!

伊豆国韮山江川代官所「御仕置御条目 全」

群青色といったらよいのでしょうか?表紙がつけられて、和綴じされ、題箋に「御仕置御条目 全」と書かれています。私が所蔵している伊豆国田方郡土手和田村(静岡県伊豆の国市韮山)の古文書です。この表紙は明らかに後からつけられたもので、中はいたって普通の?!条目です。もっとも、正確にいえば、「御仕置御条目」ではなくて、「五人組帳前書」と呼ばれているものです。五人組は、改めて言うまでもなく、「江戸時代,近隣の5軒を単位に組合せて組織した治安・行政の連帯責任制度」(『岩波日本史辞典』)で、この五人組を書き留めた帳面が「五人組帳」。この五人組帳の前に「前書」として、村人が守るべき法令などを書き上げていました。これが「五人組帳前書」です。

土手和田村は、これも改めて言うまでもなく、伊豆韮山の江川代官の支配所でした。ついでながら、江戸時代の史料では、代官が支配した幕府領を「〔氏名〕支配所」と表記し、大名領は「〔氏名〕領分」、旗本領は「〔氏名〕知行所」と表記して区別しています。「幕府領」「幕領」はもとより「代官所領」とか「天領」、それから「大名領」「藩領」「旗本領」などはすべて学術用語です。

まぁ~ここはあまりこだわらないで、「伊豆韮山江川代官所」としておきましょう。つまりこの史料は、江川代官所の「五人組帳前書」なのですが、これも史料の表題を優先して「御仕置御条目」で統一するようにします。「御仕置」というと、どうしても処罰するというニュアンスが出てしまうのですが、ま、よろしいでしょう。

この「御仕置御条目」は、享和元年(1801)3月付で江川太郎左衛門が差出人となっています。韮山江川代官は、代々太郎左衛門を名乗っていますが、この太郎左衛門は、江川家35代の江川英毅(ひでたけ)です。韮山の反射炉や幕末の海防政策、炮術家などで有名な江川英龍の父親にあたります。実は英龍は、この享和元年5月13日に生まれています。2か月後のことなのですね。

江川家は平安時代から続くと言われる以来の名家で、代々韮山の地に根を下ろし、戦国時代には北条早雲(伊勢宗瑞)以来、小田原北条氏の配下でしたが、豊臣秀吉の小田原征伐の際に家康に寝返り、江戸時代に韮山の世襲代官となりました。ただし、32代英勝の代、享保8年(1723)11月に年貢不納と不正の廉で罷免となります。罷免となっても御家取潰しとかになったわけではなく、勘定奉行の支配下にありました。その後、34代秀征(ひでゆき)の代、宝暦9年(1759)に赦免されて韮山代官に復帰します。その子が英毅で、英龍は孫にあたります。韮山代官復帰3代目ということになりますか…。

能書きはこのくらいにして、このPDFファイルをダウンロードできるようにしておきましたので、興味のある方はダウンロードして読んでみてください。ついでながらここにはまた、25文字×20行のA4判特製原稿用紙のPDFファイルもアップしておきますね。

こちらは、Googleドライブを使っていますので、もしかするとGoogleのアカウント(Gメールアカウント)が必要かも知れません。

https://drive.google.com/drive/folders/1Sr-Cn9tum26fyqIdDrRKK4NpnrGvAIWt?usp=sharing

「御仕置御条目」は、1条1条が短いですから、一挙にではなく、ボチボチの解読をしていきたいと思います。

改めて、よろしくお願いいたします!

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投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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