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お題No.001の回答

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お題No.001 借用証文

お題No.001の筆耕

【書き下し文】
借用金証文の事
一、金拾弐両也
右は私拠んどころなき入用に差し支え、貴殿え御無心申し入れ候処、御聞き済み下され、書面の金子只今慥かに借用申す処実正也。且つ返済の義は来たる十月晦日限り壱割五分利永差し加え元利共急度返済仕るべく候。念の為証書差し入れ置き候処件の如し。
四日町村

慶応三卯年                     彦左衛門
三月

土手村
平  蔵殿

【解説】
四日町村の彦右衛門が、土手和田村平蔵から金12両を借用した際に作成された証文である。典型的な形式の借用証文であるが、保証人はなく、また抵当物件も設定されていない。抵当物件が記載されたものを「書入(かきいれ)」という。
土手和田村の親村である四日町村は、村高1,238石余の大村で、この当時は沼津藩領と旗本原田氏知行所の相給であった。下田街道沿いの村で在郷町として賑わっていた。
借用した12両は、1割5分の利足(当時はこのように表記)で、3月から10月の晦日まで8か月借用するという契約であった。現在の感覚で1割5分はかなりの高利であるが、当時は一般的であった。ちなみに1割5分の利足は、だいたい金1両3分と銭340文ほどとなる。
※古文書について
 本サイトで用いる古文書は、伊豆国田方郡土手和田村に伝わるものである。史料群の内容からみて、土手和田村の組頭を務めていた高田勝蔵家のものと思われる。土手和田村は、現在の静岡県伊豆の国市韮山町に属している。幕府領、伊豆韮山代官江川氏の支配。江戸時代の土手和田村は四日町村の枝村で、村高24石7斗1升、天保15年(1844)の家数43軒、人数143人、馬5疋の小村である。同村内には、源頼朝が伊豆に配流された蛭ヶ小島(ひるがこじま)あったとされる。なお、土手和田村文書は、2005年にインターネットオークションで購入した。
《参考文献》『平凡社 日本歴史地名大系』

 

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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