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お題No.004の回答 質地証文と添え証文

少し遅くなってしましたが、お題No.4の回答をUpします。典型的な質地証文です。ただ、これには関連の証文が糊で継いであります。さて、どのように関連していたのでしょうか?

 

お題No.004の古文書

お題No.004の筆耕

【書き下し文】
相渡し申し質地証文の事
一金七両弐分は             但し、文字金也
この質地として
屋敷壱畝拾五歩              七拾五坪の内、藤左衛門分
分米壱斗五升
上畑四畝歩                               同人分
分米三斗弐升
右これは去る午御年貢皆済に罷り成らず候に付き、右反別質地に相渡し代金七両弐分只今慥に受け取り、御年貢に上納申す所実正に御座候。年季の義は五年季相定め申し候。然れば当未の春より貴殿高に入れ御年貢・諸役御勤め、右反別御支配成さるべく候。年季来り右金返済仕り候わば、反別質地御返し下さるべく候。この質地に付き、横合より少しも相違申す者御座なく候。後日のため名主・与頭・証人加判仍って件の如し。
    添え証文の事
土手和田村屋敷壱畝拾五歩、上畑四畝歩本証文の通り安永四年未三月質地に相渡し置き候所、相違御座なく候。この度右地所へ上借金として弐両借り請け申し候所実正也。右地所は本名藤左衛門分にこれ有るに付き、我等方えは請け返し申す間敷く候。仍って添え証文件の如し
【解説】
1枚目の史料は、四日町村の惣八が、同村の枝村である土手和田村内の屋敷地1畝15歩と、上畑(じょうばた)4畝歩を担保として質に入れることで、山木村の藤左衛門から金7両2分を借用した証文である。いわゆる質地証文で、借用の理由は年貢が皆済できないためという。借金を返すまでは、この屋敷地と上畑は、藤左衛門のものとなり、土地にかかる年貢と諸役は藤左衛門が負担することとなる。借用の期限は5年季であるが、利足の記述はない。それにしても屋敷地も上畑も分米(ぶんまい)の額が著しく低い。分米とは、1反当りの公定収穫高である。土地の価値が石高で表示された江戸時代では、田方だけでなく、畑方や屋敷地も米の収穫高で示された。屋敷地と上畑はだいたい等しいことが多く、生産力の高い村では8斗ほどはあるが、屋敷が1斗5升、上畑が3斗2升となっている。
2枚目の史料は、1枚目の添え証文で、宛名の藤左衛門部分が糊で継がれている。先の質地証文では、5年で借金を返済する予定であったが、返済することができない上に、上借金としてさらに金2両を借りている。そのためこの土地は、請け返す時は本名(ほんみょう)の藤左衛門であるので惣八が請け返すことないとしている。請け返しは、質地を取り戻すことである。本名とは、この場合、もともとの持ち主ということで、だいたいは検地の際に登録された人名を指す。検地帳に登録された人物を名請人(なうけにん)という。
筆耕のPDFファイル=dotewada_0061-2

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
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