Professor's Tweet.NET

お題No.006の回答 質流れ証文でした。

回答が少し遅くなってしまいました。今回の質地関係証文はちょっと複雑だったかと思います。早速、読んでみましょう。

お題No.006の古文書

お題No.005の筆耕

【書き下し文】
証文の事
一、我等方より貴殿え預け置き候畑屋敷、并びに平助屋敷、并びに屋敷添の畑、やすみ場の道上の畑・林・竹やふ共残らず、貴殿へ預け置き候林・芝地残らず、永高弐百五十文、外浮役四十壱文御年貢納所の場、我等前々金子入用の節金子拾五両受け取り、拾年季質物に入れ置き申し候得共、廿三年以前より年季過ぎ候得共請け返し申す義罷り成らず、殊に根本一家儀にもこれある間、この度右の場所流し申す所実正也。御年貢・諸役等貴殿御勤め、右の屋敷・畑・山林、其外芝地共に残らず貴殿支配成さるべく候。外よりかまい申す者御座なく、何時成共御縄入れ申し候わば、貴殿御名帳に御付け成さるべく候。後日のため加判証文仍って件の如し。

【解説】
享保6年(1721)の質地に関する証文です。関するというのは、質地証文そのものではなく、その後の経過を示す証文だからです。元地主の重右衛門は、屋敷地・芝地・畑・山林を10年季の質地にして金15両を受け取ります。ところが23年前といいますから、元禄10年(1697)ということになります。すでに年季が過ぎたと書かれていますから、質地に出したのは、元禄元年(1688)でした。これだけの年月が経てばもはや請返しもできないし、根本は「一家」なので流すことにしたとあります。「流す」とは質流れのことをいい、そうした土地を流地(ながれち)といいます。
また、請返しは、借金を返済して質地を返還することをいいます。この証文によれば、質地を出してから、年季の10年はすでに過ぎているのですから、それでもまだ請け返すことができたことになります。請返し(請戻しといいます)については、例え年季が定められていたとしても取り戻すことができるという慣行があって、これを有合(ありあわせ)質地慣行といいます*1。ただ、この質地請返しがそうした慣行によるものか、「一家」であるためかは不明です。この場合「一家」は元は同じ家であったということを示すのでしょう。分家であったのかも知れません。
いずれにせよ、この証文と取り交わすことによって、これらの土地についてこれからは一切構わないことを誓うのですが、そのためにいつでも「御縄入」の際には貴殿の「御名帳」に付けるようにとも述べています。御縄入れは検地のことで、これから検地があった際にはそちらの名前で登録するようにといっているのでした。
少々長くなりました。この証文には、それだけいろんな当時の慣行やら法則やらが絡んでいるのですね。あ、この質地の相手は誰なのか、書き方からしてもこの証文だけでは「勘弥」なのかはちょっと確定できません。
*1 質地請戻し慣行については、東洋大学文学部教授白川部達夫先生の研究によります。

 

<A rel=”nofollow” HREF=”http://ws-fe.amazon-adsystem.com/widgets/q?rt=tf_mfw&ServiceVersion=20070822&MarketPlace=JP&ID=V20070822%2FJP%2Fomikun0f-22%2F8001%2Fabc08f63-0f42-4062-80be-17777b60df82&Operation=NoScript”>Amazon.co.jp ウィジェット</A>

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
モバイルバージョンを終了