お題N0.007の回答 永代売証文

Let's古文書
お題N0.007の回答 永代売証文

それでは土地証文に関する最後の回答です。と、言っても、実際にはこれからも取り上げていきますので、正確に言えば一区切りです。区切りを飾るのは永代売りの証文でした。

 

お題N0.007の古文書

 

お題N0.007の筆耕

 

【書き下し文】
永譲り相渡し申し田地の事
一田二十五束刈         伏所沼田
この永譲金壱両壱分弐朱也
右は当酉の御年貢米不納に付、其訳貴殿え達して御頼み申し入れ、書面の田永譲り仕り、右金唯今慥かに受け取り御年貢米上納仕り候処、実正明白に御座候。然る上は右の田地貴殿方にて御自由御勝手に御耕作成さるべく候。尤も右の田地に付き外々より何の搆御座なく候。若し万一差し障り等申すもの御座候わば、加判う受くるの私共引き受け急度埒明け貴殿え少しも御苦労御損毛頭相懸け申す間敷く候。その為その組合印形申し受け相渡し置き申す上は、この表聊か相違御座なく候。後日のため田地永譲り証文仍って件の如し。

 

【解説】
文政8年(1825)の田地永代売りの証文です。年貢を支払うことができないために、田地25束刈の場所を1両1分2朱で「永譲仕」るといいます。つまり永代に売り渡すと言うことです。周知のごとく、幕府は寛永20年(1643)に田畑永代禁止令を出します。しかしながら、元禄8年(1695)には質流れによる実質的な永代売りを認めます。お題No.6がその質流れに関する証文でしたね。
ただ、享保7年(1722)には再び質流れ禁止令を出すものの、延享元年(1744)にはこれを撤回するなど、結局、実質的に民間の土地売買を認めざるを得なくなります。また、田畑永代禁止令は、あくまでも幕府法であって、藩法には堂々と永代売りを認めているものもありますので、結局、土地慣行はその地域地域で異なっていました。ただ、土地の所有自体は、将軍→大名(藩)・旗本→(家臣)→百姓という序列になっていて重層的なものです。これでも中世以前に比べればずっとスッキリしたのですけれどね。
なお、土地は普通○町○反○畝○歩という反別(面積)で現わすのが普通です。ここでは「二十五束刈」という単位が使われていますが、詳細は不明です。後は、種を蒔く範囲として「○升蒔(まき)」といった呼び方もあります。土地慣行は実に複雑で、だから面白いのです。

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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