お題No.011の回答 新百姓取立証文 村と百姓を考える

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お題No.011の回答 新百姓取立証文 村と百姓を考える

お題No.011は、村と百姓との関係をみていく上で非常に興味深い史料だと申しました。いや、本当におもしろいんですよ。でも、史料に出てくる語句の意味とか、江戸時代の村の構造とか、経済構造とか、いろんなことを知っていないと理解できない証文でもあります。ちょっと解説が長くなりますが、とにかく読んでみましょう!

お題No.011の古文書

お題No.011の筆耕

【書き下し文】
一札之事
一永高五文      元屋敷畑壱ケ所 大麦弐升蒔き
外浮役壱文
右ハ為冥加金三両弐分出し申し候。
右は、拙者儀、貴殿家抱に御座候所、今般冥加として書面の通り金子差し出し、右地所永五文・浮役壱文の場所高分け致し貰い受け、家抱株相離れ、新規百姓に相成り度き段相願い候所、願いの通り家抱名前御除き、新規百姓に御出し下され忝く存じ奉り候。然る上は御公儀様御年貢・御役等拙者方より相勤め申すべく候。勿論拙者儀、代々家抱御座候所、書面の通り主従の所縁御座候に付き、年始・節句等是迄勤め来り候通り貴殿え相勤め申すべく候。猶亦末々に至る迄何事も相互睦じく致し申すべく候。且つ又右引き合あいの外何にても貴殿よりも向後難題がましき儀、決して申す間じく候相定に御座候。後日のため証文仍って件の如し。

【解説】
小左衛門の家抱(けほう)であった金左衛門は、大麦2升蒔きで年貢永高5文(他に浮役1文)の元屋敷畑1か所を高分けし、冥加として3両2分を差し出すことで、「家抱株」を離れ、新規百姓として取り立てることになったことを証明した証文です。「家抱」とは、本百姓に従属した農民層の一種で、名子門屋など、地域によってさまざまな名称で呼ばれています。そもそも江戸時代の村の内部は、さまざまな階層に別れています。田畑と屋敷地を所持し、年貢や諸役を負担する義務を負う一方で、村寄合や用水・山野の利用する権利を持つ百姓を本百姓と言います。これに対して、田畑や屋敷地は持たないが、家族を持って、小作などで暮らす百姓を水呑百姓(みずのみびゃくしょう)と言います。家抱などの隷属農民は、水呑百姓より低い階層で、通常はこのように主家と呼ばれる家に従属しています。この場合、家族を持っている場合と、持たない場合があります。もちろん、家族を持たない方が従属の度合いが強くなります。村の中では、これらの本百姓、水呑百姓、家抱などはそれぞれ「株」として意識されていますが、この証文は、主家から離れて「百姓」として自立することを認めたものです。
その条件として、小左衛門家から高分け、つまり土地を分けてもらっています。その土地が元屋敷の畑です。大麦2升蒔きとは、大麦の種、2升を蒔くほどの広さの土地ということです。普通は反別(面積)を記載するのですが、とくに北関東の村などではこうした表現がみられます。また、永高とは永楽通宝の単位で5文分の年貢を払うということです。永楽通宝(永楽銭)は、中国は明の時代、永楽6年(1408)から鋳造された貨幣で、室町時代には日本でも流通貨幣となっていました。江戸時代には自国で貨幣を鋳造するようになったこともあって流通貨幣ではありませんが、銭が1両=4貫文を基準として相場によって変動するのに対し、永楽銭は1両=1貫文で固定化されていますから、年貢の単位などに利用されていました。関東の村々では、田方の年貢は米で、畑方の年貢は永楽銭で計上することになっていました。これを関東畑永法といいます。また、年貢のうち「浮役」は、小物成の一種で、臨時または年期を限って賦課される税の一種です。この土地を金3両2分で買い取る形で「家抱株」から離れて「新規百姓」に取立てられたということです。
ただし、金左衛門家は、代々小左衛門家の家抱で主従の関係にあったことから、今後も年始や節供の行事については、これまでの通り主家のために務めを果たすことを誓っています。こうした関係を親方・子方もしくは親分・子分の関係という場合もあります。いずれにしても、主家との関係から完全に離れることはできないということですね。
「家抱」から離れて「百姓」になるといっても、そのまま「本百姓」となったとは言い難いかと思いますが、こうした動きを「小農自立」といいます。江戸時代は、経済史的にいえば、小農民が村落の基本階層となる時代です。ここら辺はまた、複雑なので、またいずれ説明しますね。
ただ、小農自立というのは、だいたい近世前期のこととして語られることが多いのですが、この証文は寛政12年(1800)ですから、江戸時代も残り60年あまりとなった時期のものです。そこでしっかりと「家抱」を離れて「新百姓」になるという証文が残っていて、それだけ興味深い史料なのです。ずいぶんと長い解説になってしまいましたが、1点の古文書を読むだけでもそれだけの知識が必要なことをご理解いただければと思い升。実はこれでも説明が足りないかなと思っているのですが…(^^;)

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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