小田原藩主大久保忠真の藩政改革 講演レジュメを公開します

小田原藩主大久保忠真の藩政改革 講演レジュメを公開します

本日は、午前中から神奈川県マグカル局と演劇資料室の方が来校され、幹太さんと一緒に、拳さんの台本やパンフレットの件で打ち合わせをしました。整理をしたとしてもそれをどこでどうやって保存していくか、それが何よりも大きな問題ですね。それにしても私自身、相当疲れているんでしょうね。お帰りになって、お昼を食べて、1時頃ちょっと横になって…目が覚めたらなんと3時をまわっているではないですか!一人、あ~ぁ、よく寝た(^_^)v

さて、1日の土曜日は、小田原の市民交流センター(UMECO)で、小田原史談会の講演をさせていただきました。ちなみにUMECOは小田原城址公園にいた象さんの名前です。

今回の講演は、寛政8年(1796)から天保8年(1837)まで藩主を務めた大久保忠真の改革に焦点をあてたものでした。このうち、文政元年(1818)からは幕府老中を務め、最後は老中首座に勝手掛一人務めと文字通り幕閣のトップに立ちます。残念ながら、それから1年余で亡くなってしまうのですが…。

藩政の改革といってもこの時期は、藩財政の再編をはじめとして、そのための家臣団統制や組織の改編、殖産興業と民政改革、藩士教育と藩校、海防-軍事体制等々多様な論点があって、忠真の改革はそのすべてに渡っています。私の研究の主眼はこの忠真の改革で、これを中心にまとめた研究書を書きたいと思っています。ただ、さすがにこれらについて全部しゃべるのはさすがに無理なので、藩財政の問題に絞って話をしました。でも、実はこれが1番難しいのです(^^;)殖産興業の話をすればまだ分かりやすいのですが、私がこれまで研究してきたのは金融の問題です。領内はもちろんのこと、江戸や上方商人への借財…もまたもちろんのこと、ここで取り上げているのは、武家無尽の問題です。化政期は貨幣経済が浸透した時期と言われていますが、それが従来の貨幣経済とどう違うのか、少なくともこの時期を取り扱うのであれば、金融の問題は避けて通れません。んが、研究があってに薄かったような…。

ただ、これが本当に難しい。私もすべて理解しているとは言い難い。いや、まだ理解していないことがほとんど。だから話も難しい。聞く方はもっと難しい。終わったら結構、質問が出まくりでしたし、それが終わった後も史談会の方といろいろと意見の交換がありました。

それに…小田原藩の改革なんぞは、二宮尊徳を取り立てたということと、ひどい話になると尊徳を拒絶したから失敗したみたいなニュアンスで言われることが今でもありますが、尊徳が担当したのはあくまでも民政、地方(じかた)への貸付を通じた再建策の部分だけであって、そもそも藩政全般にかかわることなんて絶対に無理なんですよ、そういった意味でいえば尊徳の拘わった部分は小さいんですとあえて言ってみましたから。尊徳は、藩とかいう枠の中で考えるのではなく、それを超えたネットワークにこそ凄さがあるという話もしましたけれど。いずれにしてもそれは民間活用の一種なのだということですね。

ま、また長くなりますので、この辺で!レジュメは…レジュメですから、とりあえず、概略をご覧いただければと思います。

それにしてもなのですが、こちらは大久保忠真の肖像画です。

大久保忠真肖像画 左が本像で右が模像

左の本像は、現在行方が分かっていません。昭和の初めの県社大久保神社の図録に載っていたモノクロ写真です。で、右がこれまた昭和の初めに描かれたという模像です。困りますよね。書き写すならば、本物に極力近づけて欲しかった。そういう形式が流行っていたのかも知れませんが、私に言わせれば本像の方がよっぽど英明な藩主に見えます!

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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