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レジュメを公開します!「江戸時代の荻野と荻野山中藩陣屋焼き討ち事件」

今日で8月も終わりですね。月末になると、つくづくこの1か月何をしていたんだろうと自己嫌悪に陥ります。まだまだ片付けなければならないことばかりが多くて…。

8月の終わりに、アップしようと思って延び延びになっていたレジュメを公開します。22日(木)に厚木市立荻野中学校で行なった講演です。これは厚木市荻野地区の小学校と中学校連携研修会の一環でした。あつぎ郷土博物館の依頼で引き受けましたが、甲子園も決勝の日で(^^;)しかも体育館での講演会…。幸いなことに曇でしたので、そこまで熱くはなかったのですが、体育館は風は通らないし、結局、汗まみれになってしまいました。

先に言い訳をしておきますが、このレジュメでは何も新しい事実はありません。荻野山中藩陣屋焼き討ち事件は、慶応3年(1867)に倒幕をめざす薩摩藩が、江戸や関東の攪乱をめざす作戦の一環として起こしたものです。荻野山中藩は、石高1万3,000石で、相模国小田原藩11万3,000石の分家-支藩になります。詳細はレジュメをご覧ください。本当は、焼き打ちにかかわる地元の侠客佐吉の問題なんかおもしろいんですけどね。

今回は講演の対象が、いつもと違って、小学校と中学校の先生方と言うことですので、焼き討ち事件だけではなく、最近の江戸時代研究の変化や江戸時代の村と近現代の市町村合併と「荻野」と言った地域の問題、そもそも藩とは何で、江戸時代にはいくつくらい藩-大名があったかといった基本的なところを、データを用いて説明しました。ここまでで1時間かかっています。なので、焼き討ち事件の話は実質、30分強と言ったところでした。事件そのものよりも、そもそもは…と、いろんな前提の話をすることで、どこかが先生方の興味に引っかかって、授業に活かせてもらえたら嬉しいなと思いまして。でも、小学校ではそこまでは行かないか。

それでも後からですが、荻野山中藩陣屋焼き討ち事件がそれほど重要な事件だとは思わなかったと言っていただいたのは嬉しかったですね。

今回のレジュメはほぼ文章形式になっています。これも後から振り返ったときにわかりやすいかなという配慮です。また、図表編は別になっています。こちらのファイルがちょっと大きいです。ご了承くださいm(_ _)m

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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