大粒涙雨の北條邸…。
9月に入ったと思ったら、台風22号の被害に北海道の地震、私自身も還暦を迎えたり、祝い事があったかと思えば、尿管結石で七転八倒…。何ともめまぐるしい日々です。そんな中、突然の悲報が飛び込んできました。
私にとって、とっても大事な人、そして私の今があることの恩人である北條美智留さんがお亡くなりになりました。本当に突然のことでした。9月6日のことです。昨日がお通夜で、本日が告別式でした。昨日は最近には珍しく、結構な雨でしたね。台風22号の時も雨はそれほどひどくなかったですからね。
大粒の涙雨です。ようやく緒形拳さんの展示会も決まって、この秋にはその報告に伺う予定でした。何より、緒形さんが新国劇に入団するきっかけとなった方、つまりは俳優となるきっかけをつくったのが美智留さんでしたから、いろいろと話を聞きたかった、いや、聞かなければならなかったのですから。
ちょっと記録をめくってみたら、北條邸に最初に調査に伺ったのは、2000年の8月5日のことでした。それから早、18年ですか。その間に、湘南近代文化研究会なる組織をつくって、先生の作品目録や上演目録の冊子を作ったり、先生の展示会を東海大学で2度、新宿の紀伊國屋画廊と箱根町郷土資料館で1度ずつ、さらに美智留さんと緒形さんのトークステージと、本当にいろんなことをやってきました。想い出は尽きませんね。
1番最初の調査の際の記念写真です。美智留さんは70歳。元気です。その元気さはずっと最後までそのままでした。そして、この写真に写っているメンバーは、行方不明?!の1名を除いてすべて昨日のお通夜か今日の告別式に参列しました。当時、彼らは大学院生もしくは学部生でした。もちろんこのほかにもメンバーはいますが、彼らも来てくれました。上の娘は中学校に入ったばかり。もちろん、下の娘も駆け付けました。いかに皆にとって美智留さんの存在が大きかったか、ここでの仕事が大きかったかを物語っています。
戒名は「純月智圓信女」。菩提寺龍宝寺の和尚様によると、「純」は子どものように純粋な心を持って、思うままに生きた人。月は父である北條秀司を太陽に例えれば、その父を月として支え続けたことから。智はもちろん、名前の一字で、どの文字を選ぶかと言えば、やはりこの字がもっとも美智留さんらしい文字であろうと。何より智は知よりもその意味合いが深い。知恵は、本来「智慧」と書くのですから。そして、圓は禅の精神を表わすとおっしゃっていました。いささかわがままなほどに純粋な人であったと、そんな言葉に皆笑いながら、でも、月より美智留さん自体が太陽のような人であったよね、と話していました。いずれにしても、最初に見たときに、あぁ、美智留さんにぴったりの戒名だなと思ったものでした。
美智留さん、どうぞ安らかにお休みください。そしてこれからの私たちをどうぞ見守っていてください。頑張ります!
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