馬籠宿 木曽路の宿場は…
木曽路はすべて山の中である。
言わずもがな、島崎藤村の代表作『夜明け前』の冒頭の一文です。藤村(本名:島崎春樹)は、明治5年2月17日(西暦では1872年3月25日)に、この馬籠宿(岐阜県中津川市)に生を受けます。もっとも、実家は明治維新後に没落したために、8歳で東京に出て、銀座の泰明小学校に通います。確か、制服でもめましたよね。また、高校の修学旅行の話になりますが、東京での自由時間で泰明小学校を訪ね、「島崎藤村・北村透谷、幼き日、ここで学ぶ」(うろ覚えです)と書かれた碑をみた記憶があります。それより、運動場がコンクリートであったことの方が衝撃的でしたが…(^^;)
本日は、この馬籠宿を訪ねました。妻籠宿から7.8km、ほぼ2里ですね。既定通りです。今日も天気は上々で、早速、散策です。ただ、馬籠宿は、妻籠宿や奈良井宿に比べると古い建物がそんなに残っているわけではなく、宿内も短いときいていました。しかも坂道です。事前に地ビールを売っているお店を検索し、ちょうど宿を登り切ったお店にあるとのことでしたので、坂の上に車を停めました。通常は登ってから降りた方が楽なので、下の駐車場に停めることを勧められます。だから、下の駐車場の方が埋りやすいですね。
こんな感じですね。ここには資料館も島崎藤村以外にありまして、こちらは馬籠宿本陣史料館です。
でも、1つの目的は島崎藤村の記念館ですから、トロトロ歩きながら入ってみます。
こちらの建物は、藤村が幼き日の学んだもので、現在は県の文化財に指定されています。それよりも驚いたのは、先の「木曽路はすべて山の中である」という有名な一節は、藤村の全くのオリジナルではなく、宿場役人が宝暦年間(1751~81)から80年にわたって書き続けた「覚書」の中に出てくる文言をアレンジしたものだそうです。2枚目はその「覚書」の1冊です。藤村はこれらを借り受けて執筆に利用したのだとか。該当する部分を読んでみたかったですね。残念です。
それにしても、馬籠宿もやはり水の町でした。側溝を冷たい清らかな水が流れています。坂の宿場だからそれはところどころで大きく落ちています。そうそう、どの宿場も道は真っ直ぐではなく、必ず1か所曲がっています。妻籠宿と馬籠宿はそれが枡形になっていました。これも新たな発見ですね。
いずれにしても、宿場の水は急な峠を越えてきた旅人たちや、人馬を駆り出された周辺村々の人足や馬たちの喉を潤したことでしょう。
「木曽路の宿場の水は命である」と、そんな実感を持った旅でした。
まだ、ちょっと馬籠宿については書きたいことがあります。先にも書きましたように明日は1時限目から授業ですので、改めて(^o^)
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