小島資料館から町田市立自由民権資料館へ 見張番屋 新選組 農兵

今日のつぶやき
小島資料館から町田市立自由民権資料館へ 見張番屋 新選組 農兵

本日は大学院生を連れて、町田市にある小島資料館市立自由民権資料館を訪ねました。もちろん、幕末史研究のためですが、同時に、既にお知らせしたとおり、11月4日(日)にこの自由民権資料館で「幕末の改革組合村と関東取締出役」というタイトルで講演を行いますので、その準備でもあります。

小島資料館は、武蔵国多摩郡小野路村の名主を勤めた小島家が所蔵する古文書や物品を集めた個人の資料館です。小島家20代の当主小島鹿之助為政は、漢学に秀でた一方、天然理心流2代目近藤周助に入門しています。4代目近藤勇より4か月早い入門とのことで、後、近藤および日野宿名主の佐藤彦五郎とは「三国志」にならって義兄弟の契りを結んでいました。

現在の小島政孝館長は、新選組や天然理心流の研究者として著名な方で、本学の卒業でもいらっしゃいます。小島館長のお話しでは、この母屋は、もとは江戸時代に建てられたもので、明治期には屋根を増設して、蚕場として使われていたそうです。屋根も当時の土間などは改装されていましたが、大黒柱や立派な梁に往時を偲ぶことができます。

それにしても、こちらの2階に展示されている古文書の量には驚きました。本日の目的のひとつは、とにかく刊行されている『小島日記』を全部買い込んでくることでした。小島館長に伺ったところでは、こちらには「日記」と「御用留」と村の「用留」の3種類が残っているとのことでした。同年の史料でこの3種類が残っている例は珍しいです。さらに「日記」も2種類あるという…それだけでも垂涎ものです。こちらの古文書は、東京都の有形文化財に登録されているのですが、都が作成した史料目録には、書簡や軸は掲載されていないとのことでした。後で自由民権資料館で伺ったとことでは、当時、調査を担当したのが大学生で書簡まで手が回らなかったとのことです。これは古文書の量の問題もありますが、書簡は読むこと自体が難しいので、その意味でも手がつけられなかったようです。今、小島館長は、こうした書簡を読んでいらっしゃるそうです。もちろん、近藤勇や土方歳三の書簡等もあるのですが、同時に関係する人々や周辺の書簡等も読むことで、わからなかったことも明らかになるし、新選組についても立体的に研究できるとおっしゃっていました。まさにその通りです。

小島資料館には、古文書以外にも近藤勇の稽古着や、鉄砲、農兵の道具、改革組合村関係の道具などさまざまなモノ資料もたくさんありました。こちらは小島資料館の庭にある小島鹿之助と近藤勇の胸像です。

小島資料館は、第1と第3の日曜日にしか開館されておらず、小田急線やJR町田駅からも遠いのですが、引きも切らず来館者が訪れていたのも驚きでした。さすがに「新選組の聖地」です。この庭では、近藤らが稽古をしたと聞きました。また、屋内には上段の間があって、ここには廻村してきた関東取締出役が座ったとのことです。小野路村は、大山道(矢倉沢往還)の要衝で、改革組合村の寄場になった村です。宿場と在郷町を兼ねた村であったと言えるでしょう。この上段の間を見たときに、初めて関東取締出役が寄場を廻村するということのイメージがつきました。

イメージと言えば、自由民権資料館もそうです。

自由民権資料館では、本年第2回目の特別展として、明治150年記念「幕末・維新期の町田-激動の時代を生きた人々-」を開催しています。こちらを見学することが本日のもう一つの目的でした。こちらでは常設展と合わせて私が知りたかった史料が多数展示されていました。詳しくは講演の時にお話ししたいと思いますが、こちらの展示に合わせて、小野路村寄場組合を中心に、安政6年(1859)横浜開港と外国人遊歩場警備のための見張番屋政策、そして文久2年(1862)の幕府における軍制改革と兵賦役、文久3年(1863)の将軍家茂上洛と新選組、そして慶応2年1866)の小野路村組合農兵取り立ての問題について話をしようと思います。見張番屋の看板や農兵の装備品など、実物を見てこれもかなりの刺激を受けました。

やはり、歴史は現場に足を運んで、その地形や風土はもちろんのこと、その空気や雰囲気を感じることが何より重要だということを再確認した次第です。改革組合村が果たした役割や関東取締出役についても、私なりにかなり具体的なイメージとして感得することができた1日でした。


投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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