蒼天の富士山 現代教養の授業から

今日のつぶやき
蒼天の富士山 現代教養の授業から

月曜日1時限目の授業というのは、なかなか辛いもので、ましてや今年度から20分早くなって9時から100分授業。この20分が大きいのです。ましてや研究室のあるF棟から1号館までは5分ちょっとですが坂道を上がります。でも、今日はまた秋晴れで、独特のY字型の白い校舎も一際映えています。

今年の学園祭、湘南キャンパスでは建学祭といいますが、テーマは「Build UP」なのですね。最近はどうもカタカナや横文字のテーマが多いようです。この3階が今日の教室で、現代教養科目のうち基礎教養科目「人文科学における歴史学」を教えています。既報の通り、今年からいわゆるクォーター制みたいな形式の授業になりましたので、来週は早、前半の定期試験になります。本日は、これまで話をした「歴史学」の概念や方法論、見方などを元に具体的な事例として、「元禄大地震と宝永富士山噴火」というタイトルでお話ししました。歴史学はすべからく現代的な課題と向き合わなければならないと思っています。2011年の東日本大震災以降、私の大きな関心の1つは、震災史・防災史にかかわる問題です。今はとくに宝永4年(1707)の富士山噴火について研究していますが、もとをただせば小田原藩研究の一環です。元禄大地震と宝永富士山噴火というたった4年の間に連続して起こった災害が長らく小田原藩政を規定していくからでしたが、今では、小田原藩だけではなく、被害にあった地域の全域について検討を進めています。さらに幕府や御手伝普請を担った大名についても考えていきたいと思っています。まだ途上ですが、そういった観点からの実態について少しだけですが、話をしています。この日の講義では、終わった後に話の論点をまとめて感想を書くという小レポートを課しています。もちろん、これも採点の対象になります。

歴史学研究の基本は文字史料の解読ですが、最近は書かれている内容を読むだけではなく、例えば年貢などはデータ化して表にしたり、グラフにした方がわかりやすくなります。また、図像史料も重要です。この授業では、そうした文字史料データ史料図像史料を駆使して富士山噴火の被害について迫ります。まだ途中ですので、今年度の最後くらいにはレジュメをアップしようかなと考えています。

で、とにかく天気がよかったので、授業前に1号館の屋上に上がって富士山の写真を撮ってきました。まだ登頂部分だけが雪に覆われていますので、西側の噴火跡=宝永山はよく見えません。ただ、夕べの月が白く残っていて、何とも風情がありましたので、そちらの方の写真を載せますね。

いかがでしょうか?蒼天の空に雪を被った富士山と白い月の対比が美しいと思いませんか?銀杏もだいぶ色づいてきました。それにしてもこの富士山が今から約300年前に噴火したのですから何だか不思議です。そしていつかはまた噴火するのは確実なのでしょう。

と言うことで、元禄大地震と富士山噴火に関する論文3部作の最終を本日、文明研究所に提出してきました(^o^)「相模国小田原藩における大災害からの復興と改革・仕法-吉岡家の俸禄米をめぐって-」というタイトルで、「吉岡家文書」を使って今回は、家臣の家計の問題について検討しています。まだ査読がありますし、タイトルもかわる可能性がありますから、詳細はいずれ!

それから、これも以前、お話ししたとおり、11月12日(月)の午後7時からBS11の番組「歴史科学捜査班」で宝永富士山噴火を取り上げています。この回のゲストとして、今日の講義の一端をここでもお話ししておりますので、ぜひご覧いただければと思います。どれだけカットされているかはわかりませんが…(^_^;)どうぞよろしくお願いします!

それからPart2.11月4(日)には町田市立自由民権資料館で、「幕末の改革組合村と関東取締出役-小野路村組合と木曽村組合-」と題する講演会を開催します。2018年度第2回特別展明治150年記念「幕末・維新期の町田-激動の時代に生きた人びと」展の記念講演会です。休む間もなく、これからレジュメとPowerPoint作りです。やれやれ…。

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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