BS11 歴史科学捜査班 危機管理学で迫る!富士山宝永噴火が放送されました。

今日のつぶやき
BS11 歴史科学捜査班 危機管理学で迫る!富士山宝永噴火が放送されました。

もっとカットされるのかなと思っていたのですが、意外としゃべっていましたね。それでも3分の1くらいでしょうか?本日午後7時からBS11歴史科学捜査班 危機管理学で迫る!富士山宝永噴火」が無事に放送されました。ま、めったなことがなければ延期にはならないそうですが。

それにしても出演の依頼が来たのが9月の30日で、収録が10月5日でしたからなんと5日前のこと(^^;)ま、何とかなるでしょうと引き受けてしまったのですが、何とかなったようです。収録してからどのように編集されたかはドキドキだったのですが、なかなか見応えがあったと思います!思いっきりの手前味噌。収録後もいろいろと試行錯誤されていたようで、実験については本学の秋山先生を、酒匂川の治水については南足柄市史で一緒だった関口先生を紹介しましたが、お二人ともきっちりとお話しも実験もされていましたね。それ以上にいろんな専門家の方のお話しを改めて聞くことができて、勉強になりました。宝永の富士山噴火を現在の防災に活かそうとすれば、いろんな学問からその叡智を集めなければなりません。その必要性をしっかりと訴えることができたように思います。

ただ、残念だったのは、噴火後の小田原藩の復興策と言われていたものは、実は小田原藩では復興が難しいので、幕府に上知(領地を幕府に返還すること)した後のものでした。この上知の話もしたのですが、そこはちょっとカットされていたようです。でも、天地返しのようすなども独自に映像化されていて、CGはなかなか見応えがありました。最後に、日常的に桜島の噴火の被害に曝されている鹿児島の皆さんの生の声をインタビューされていたのが効果的だったですね。富士山が噴火して宝永4年(1707)の時のように降灰の被害が起こるとすれば、あの証言は最低限のものだと考えなければならないですからね・

最後に、番組で紹介された金井島村、宮台村、岡野村(開成町)の酒匂川沿い3か村の他に、畑作地帯にある府川村(小田原市)、虫沢村(松田町)の2か村と、その中間に位置する弘西寺村・雨坪村(南足柄市)の2か村を含めた年貢米変遷の図をここに提示しておきますね。4か村分サービスです。10年以上も米の年貢が取れなくなったのは、降灰の被害以上に酒匂川が降灰で埋って何年も何年も洪水をくり返したからでした。それ以外は翌年には少ないながらも米の生産がみられます。ただし、山間村落の虫沢村だけは20年以上も年貢ゼロが続きますが、この村はそもそもが米の生産量が少ないですからね。

こんな地道な研究もあるということをご理解いただければ幸いです。この論文については、このサイトの「馬場研究室へようこそ」の「論文一覧」の中にある「元禄大地震と宝永富士山噴火 その2-相模国小田原藩領村々の年貢割付状分析から-」をご覧いただければ幸いです。

 

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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