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とりあえず最終日

何だかあっという間に授業も最終日。今日も現代教養の期末試験。考えてみれば、年明けも現代教養の期末試験から始まったのでした。その翌日からインフルエンザでお休みしたのですが、これまた考えてみたら、私は期末試験の間、学生たちの間を回りながら、インフルエンザの菌をばらまいていたのかも知れない…(^_^;)その後、罹った学生はいなかったのだろうかと、ちょっと不安になりました。

休んだ分については本来、授業をやってレポートを書いてもらう予定でしたから、とりあえず、これまでのところで問題を出して、レポートだけは書いてもらいました。研究室の扉にはレポートボックスも設置してバッチリです。

ところで、昨日、3月に益子町で講演を依頼されたと書きましたが、帰ったら早速、書庫から『益子町史』を引っ張り出してきました。何年ぶりに開いたでしょうか?近世資料編が昭和62年とな。1987年3月ですね。上の娘が生まれた歳ではないですか。で、通史編が平成3年、1991年ですね。下の子が生まれる前年か。私、33歳の時ですね。今の半分近い。こちらは「第5章 幕末解体期の益子 第3節 黒羽藩の文久・慶応改革と下之庄」う~む、意外とちゃんと書けていますね。私は「第4章 変わりゆく益子の村々」も書いています。138頁か。400字詰め原稿用紙で300枚超でしょうか?頑張っていたんだな。今でもお話しする幕末維新期の話の原型は、やはりここにもありました。でも、どれも論文にはしていないし…。もったいなかったなと今さら思ったりして(^_^;)黒羽藩や大関増裕については、著作もほとんどないですもんね。1万8000石の外様小藩だからといえばそれまでですが。

肩書を見たら「著述業」になっていました。この頃は南足柄市史と寒川町史をやっていた頃でしょうか。その後、高田馬場にある日本児童教育専門学校という学校の非常勤で、日本文化史を教えはじめるのですが、それよりも以前で、実質、無職ですね。そんな時代だったんだなと改めて思い起こしています。やっぱりこの黒羽藩主大関増裕の藩政改革について話をするかな。

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投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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