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文系の論文と研究報告 理系の論文と研究報告

Twitterでの話です。「そもそも歴史学は論文書くのに時間がかかるし、殆どの雑誌にIFがつかないという構造があって、業績小具が厳しい環境の中で他分野との競争にさらされている」というTweetに対して「教育系ので文系、理系にかかわらず紀要の編集を担当するようになって、歴史家の論文の枚数が多いこと、単著が基本なので、連名が普通の分野に比べて不利なことを思い知らされました。研究報告を90分もやるなんて他ではそうそうありません」とTweetしたところ、そこそこ「いいね」ReTweetがありましたので、もう少し詳しく述べてみたいと思います。なお、最初のTweetの「IF」というのは「もし」の意味ではなくて、インパクトファクター(impact factor)の略です。自然科学や社会科学の分野で、論文が掲載された学術雑誌に対して、その影響度や引用度を数値化したもので、現在は論文の判断する指標として最重要視されています。

私が「教育系で」と書いたのは、2007年に本学の教育研究所(現・教育開発研究センター)に配属になった時のことで、初年度から「紀要」と「研究資料集」の二つの学術雑誌の編集を任されました。「紀要」は査読がありますが、「研究資料集」は査読がありません。当時の教育研究所は、9月に全国のキャンパスおよび付属諸校を対象に授業研究会を開催していました。いわゆるFD(ファカルティ・デベロップメント Faculty Development)、教授法や授業改善のための組織的な取り組みのことです。文科省は2008年に高等教育に対するFDの義務化を通達しましたが、本学ではすでに1980年代の後半から取り組んでいました。授業研究会が始まったのも1997年からのことでした。このレジュメなどを掲載するのが「研究資料集」で、だから査読はしない方針でした。

前置きが長くなりましたが、この教育にかかわる論文もしくは資料であれば、自然科学、社会科学、人文科学の別は問わないのです。私はそれまで歴史学界の、それも日本史、近世史の学会しか知りませんでした。だからここでの体験は、私には本当にカルチャーショックでした。

研究報告の時間は、だいたい15分から20分です。理系の場合、実験の方法とその結果を述べれば済むことですから、これくらいでも大丈夫なのだということでした。「科学」というのは、一般には自然科学のことを指すように一般的には思われますが、実際はその方法論のことを言います。つまり

仮定 → 問題の提起 → 実証 → 結論 → 考察

という手続きを踏んで研究していくことで、それは自然科学でも社会科学でも人文科学でも変わりません。科学的な方法を用いて研究されるということが大事なのですね。ところが自然科学の場合は、立証が実験で、こういう方法で実験をやればみんなこういう結果が出るよ…と、だからその過程を示せば良いということでした。

ところが人文系、とくに歴史学はこの実証の部分が、つまり過去は実験も検分もできませんから、史料を用いて、それを読み込んで分析して、さらに他の史料と比較検討してようやく歴史の復元=実証ができるわけです。これを実証主義歴史学というのですが、ともかくこの過程で実際に史料を読み進めながら実証していきますから、その分時間がかかります。だから、通常の研究報告が90分というのが普通で、100分を超えることもザラです。しかもこれは大学院に進めば普通にやらされることです。授業もだいたい90分で(今年度から100分授業になりましたが)、講演等もだいたい90分ですから、まぁ~私たちはそれに馴れきっているところがあります。これに比べて、だから20分程度で報告をするということがまぁびっくりでした。

こうした性質はもちろん、論文にも影響します。歴史学の論文は、学術雑誌に投稿する場合、だいたい400字詰原稿用紙で50枚以上が普通で、上限が80枚程度になります。字数にしたら2万字から3万2000字ですね。しかも一人で執筆するのがこれまた普通です。論文集などで比較的自由にやらせてもらえれば、100枚(4万字)くらい書くこともあります。そもそも近世後期の論文では、2万字はとても足りないのです。図表が入ればなおさらです。

理系の論文はというと、これは理系の先生から聞いたのですが、だいたい図表を入れて7ページ程度に納めるそうです。字数にしたら1万字程度でしょうか?図表が入ればもっと少なくなります。また、英語の論文の場合は、字数ではなく、単語のワード数で数えます。さらに、論文の記述方式も決まっているので、後は言葉を入れるだけだと、英語でも形式や使用するワードがほぼ決まっているので、そうそう難しいことではないとおっしゃっていました。うちの娘たちは理系に進んだものですから、聞いてみたらそうだというのですね。

さらに理系の論文も、さらには社会学、法学、経済学、心理学などの社会科学系の論文も連名で執筆するのが一般的です。連名の中でも筆頭者が基本的な部分を書いて、連名者が検討することになります。だから筆頭者がそれだけ評価されるわけですが、実は必ずしも筆頭者が書いたわけではない論文も普通にあります。また、連名の最後は大学院生などであることが多く、連名そのものが序列を示しています。研究が進むに従って、最後からだんだんと筆頭者の方に上がっていって、ある時期になると執筆を任されるようになるとのことです。まぁ、このシステムが機能せず、連名者が確認しないままに論文が提出されたことが実験結果の不正や盗用などの問題を引き起こしていることも確かですが、でもこれはこれでよくできたシステムだと思います。

で、何がいいたいかと言うと、くり返しになりますが、論文の枚数にしても単著がほぼ必須であることも報告時間が長いのも、他の研究分野からみたらその方が異常だったということでした。単著で2万字以上の論文を書くとなると、先ほど述べました実証の手続き、つまり史料を集めるにも時間がかかりますし、古文書等の原典を使うのであれば、読むだけでもこれまた時間がかかりますので、1本の論文を書くのも結構たいへんです。史料調査から整理など共同でやっているのだから、例えば共著などのシステムが導入されるといいかと思うのですが、これはこれで仲間同士でどういう順番にするかなど問題があるかも知れません。だから、一つの史料群の場合は、共著でなくて、分担執筆というのが基本になります。

私も昇格の時に論文の数について注文がつけられましたが、理系の感覚で評価してもらっても困るというが正直なところでした。ということで、歴史学で研究をするということは厳しいというお話しでした。もっとも、理系では何日も何日もそれこそ泊まり込みで実験をやらなければならないこともあり、それぞれにそれぞれの厳しさはあります。せめて公平だと納得できるような評価の方法が欲しいというのも、これまた偽らざる気持ちなのでした。

あ、でも、自分の感覚で立てた仮説を、自分の力で史料を集めて読み込んで、その史料から組み上げて立証していくのは、さらには新たな説を提示したり、今までわからなかったことを明らかにしていくのは、何ものにも代え難い快感ですよ(^^)

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投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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