続・「史料管理学演習」の準備 土手和田村文書

今日のつぶやき
続・「史料管理学演習」の準備 土手和田村文書

とにかく眠くて眠くてたまらない1日でした。でも、夕方目が覚めたところで、ようやく明日から始まる「史料管理学演習」をどうするか気になってきて(^^;)改めてテキストの改訂版とパワーポイントの作り直しをしています。毎年、テキストを作って配布するのですが、だいたい講義は1日ですから、ほとんど1日しか使わないのです。しかも、実習には別のテキストを用意していますからね。明日使うのは「史料管理学演習概論」というテキストです。

もちろん、骨子は変わらないのですが、新しい情報が出たり、興味深い事例にあたったり、新知識を得たりした段階で、少しずつ変えていきます。今年は現代教養科目で「人文科学における歴史学」を担当したおかげで、「歴史学と史料」を第1章として話をしてみようかなと思っています。そのためにテキストもパワーポイントも結構、作り直しというか、追加が入ります。その分、他も調整が必要ですからね。

もう一つの懸念は、日々の作業をどのように組むかということです。すでにお話ししましたように、緒形拳さんの資料と伊豆国田方郡土手和田村文書を整理しようかと思っています。本来なら、学生のレベルからすれば緒形さんの資料一本で行きたいところですが、秋セメからはじめた「木曜古文書勉強会」に参加している学生もいて、少しだけでも古文書をやった方がいいかなと思っている次第です。実質、4日ですから、はじめの2日を古文書整理実習にあてて、後の2日を緒形さんの資料を使った現代資料整理実習にあてようかと思っています。ただ、今年は何せ人数が多いので、指導が行届かないのではないかというのが心配なのですね。それぞれに違う作業をやらせるとなおさらです。

土手和田村文書の整理は今年で6年連続になります。何せ史料が多いですからね。Yahoo!のオークションで購入したのが2006年でしたから、もうすでに13年も経っているのですね。土手和田村を『角川日本地名大辞典』で調べてみると「

江戸期~明治11年の村名。伊豆国田方郡のうち。はじめ内藤氏領,慶長6年幕府領。村高は,「元禄郷帳」には土手和田島村として24石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに24石余。反別は,田4反余・畑2町4反余・屋敷地1町余,計3町8反余。宝暦6年の家数は22,文久年間から幕末まで約40。助郷は東海道三島宿に出役。用水は旧韮山城の濠を利用。寺院は曹洞宗青蓮院(現在廃寺),神社はなかった。明治元年韮山県,同4年足柄県を経て同9年静岡県に所属。明治11年多田村ほか3か村と合併して韮山町となる。」とありました。今は静岡県伊豆の国市韮山です。とにかく、とにかく田畑の少ない土地ですが、源頼朝が配流されたという「蛭ヶ小島」のある場所と言えば、歴史ファンにはお馴染みかも知れません。また、当地は幕府領で、支配は韮山代官の江川太郎左衛門家でしたから、そうした意味でも馴染み深い場所ではあります。
下の写真が送られてきた当時の土手和田村文書です。漆紙の長持に、籐製の編み籠そして細長い木箱の3点がセットでした。オークションの落札価格は9万6,600円でした。果たして高いのか安いのか…(^^;)
いずれにしても受講生諸君!覚悟しときぃ!!

 

 

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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