GW 讃州上陸!

今日のつぶやき
GW 讃州上陸!

平成から令和にかけてのGW10連休が始まりました。正直、元号の話はどうでもいいんですけどね。何はともあれ、旅ははじめにとっとと済ませて、いろいろと片付けなければなりません。ということで、一昨年に続いて四国、ただし今年は讃州に上陸を果たしました。

今年は、一昨年道後温泉に行った時、夕食で一緒になったご夫婦に「小豆島がよかったよ」と言われたことに、かみさんが感化されたからでした。んが、実際は、高松近辺で結構、時間を掛けてしまいました。

高松城月見櫓と披雲閣

まずは讃州高松城から。別名は玉藻城(たまもじょう)で、周辺の海域を玉藻の浦と言ったことからこの名があるそうです。この城は艮櫓(うしとらやぐら)と月見櫓に水門が重要文化財に指定されています。天守は石垣が復元されていて、本丸へは鞘橋(さやはし)という屋根のついた橋を渡るのが珍しかったですね。写真は、月見櫓と大正年間に再建されたという旧藩主の別邸披雲閣(ひうんかく)です。披雲閣もまた重文指定でした。

月見櫓の右にある門は水門を兼ねていて、かつてはこの前は海で、ここから船で漕ぎ出して、時には参勤交代もここから船で出立したとのこと。さすがに近世最初にして最大の海城と呼ばれただけのことはあるな…と思ったところでした。

高松城は、当初は生駒氏が城主で、寛永19年(1642)年から水戸藩初代藩主徳川頼房(家康11男)の子で、光圀の兄にあたる松平頼重が城主となります。代々家門の家柄です。それだけ重要な拠点であったことは間違いないですね。

次に向かったのは、源平合戦の屋島の戦いで有名な屋島です。

屋島寺本堂と蓑山大明神、そして屋島神社

ここでちょうど天気もよくなってきました。屋島寺では本堂と梵鐘、そして千手観音坐像等が重要文化財とのこと。千手観音坐像は宝物館で見ることができます。それにしても蓑山大明神のたぬきが何とも愛らしいこと。平成狸合戦ぽんぽこの金長神社を思い出しました。もっとも、金長神社は徳島でしたね。右下は屋島神社で、東照宮を勘定した神社です。

屋島神社は「四国村」という飲食や土産屋等があつまった場所の中にあります。ここですでに2時近かったので、わら家といううどん屋で昼食!

屋島神社のサツキとわら家のうどん

ぶっかけ肉うどんです。実は高松空港に着いたときにもうどんを食べていました。讃岐と言ったらやっぱりうどん!麺喰いですからね(^^)でも、食べてばかりで車に乗ってばかりだとさらに太ってしまう。ええいままよ!「旅の恥は喰い捨て」と言います。違うか…(^_^;)

さて、3時前のフェリーでようやく小豆島に渡ります。

寒霞渓

で、どこに行く?といってもたいがいは5時でしまってしまいます。とにかくガイドブックでお勧めの寒霞渓(かんかけい)へ。あら、大分の耶馬溪(やばけい)みたいだなと思ったら、この2つに群馬県の妙義山を加えた3つを日本三大奇景もしくは日本三大奇勝あるいは日本三大渓谷美というそうです。道理で!って、いつもながら行き当たりばったりの旅です。よくわからないものだから、ここまで車で登れるとは知らず、ロープウェイを使ってしまいました。相変わらず、高所恐怖症にはロープウェイは苦手です。風で揺れていましたし…(>_<)

ホテルに行く前に、事前調査でエンジェルロードの下調べ。エンジェルロードは、1日2回、干潮の時だけ前島と中余島、大余島を結ぶ砂州が現れる景勝地で、大切な人と手をつないで渡ると砂州の真ん中で天使が舞い降りてきて願いを叶えてくれるという恋人の聖地だそうです。

今日は3時過ぎには干潮が終わっているはずでした。ただ、前島と中余島は繋がっていましたから、ちょっと渡ってお仕舞い。でも、空も晴れていましたので、中余島も砂州にも夕陽に染まって密やかに輝いていました。最後にお裾分けです(^^)

エンジェルロード 前島から中余島へ

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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