やり切れない想い

今日のつぶやき
やり切れない想い

京急長浜駅で降りたのは初めてでした。横須賀市史をやっていたにもかかわらず…。5月には散策のために浦賀に初めて降りたのですが、今回はやり切れない想いを抱いての京急線でした。

その電話がかかってきたのは、月曜日の午後11時半を廻った頃のことでした。横浜市歴史博物館の井上攻君から開港資料館の齋藤司君が亡くなったという…。雷に打たれた気持ちというのはこういうことを言うのでしょうか?あまりにも突然のことに、文字通り言葉を失いました。

愛着を込めて司ちゃんと呼びます。もっともそう言う呼び方が似合わないやつなんですけどね。

司ちゃんと初めて会ったのは、大学院の修士課程に進学したときのことです。当時、本学で非常勤を勤めていた白川部達夫さんに誘われて、立正大学での勉強会に参加してからのことです。これには井上君も、今は横浜市立図書館の横浜市史に勤めている平野正裕君も一緒で、ここで青木直己さんや松尾公就さんも紹介していただきました。とにかくこの勉強会が私の現在の基礎を造ったと言っても決して過言ではありません。レジュメのまとめ方、文献の読み方、研究史の捉え方等々、とにかく日本近世史研究の基礎の基礎を学んだ研究会だったのです。

その後、関東近世史研究会の常任委員としてともに活動していくことになります。そんな過程で、彼の頭の回転の速さ、文献の読みの鋭さ、視点の違い等々、それこそ思い知らされることになります。叶わないな…と思う人物の一人でした。30歳を超える頃までの、それは濃密な時間でした。

ちょっと斜に構えて、ひねくれていて、ズバッと痛いところを突いてきて、でもそんなところが、そしてそのはにかんだような笑顔が好きでした。関東近世史研究会の大会で、彼が大会委員長で私が報告者だったときのことも忘れられません。話せば長くなりますので省略しますが、詰め腹を切らされる形で急きょ報告をやることになったものの、思いっきり行き詰まってしまった私のために自宅まで来てくれたものでした。

2014年9月に関東近世史研究会の9月例会として、法政大学で、東洋大学の白川部さんに、東京学芸大学の大石学さん、國學院大学の吉岡孝さん、そして当時は横浜市歴史博物館に勤務していた司ちゃんと私の5人で報告したのが最後のステージとなりました。その時は数年ぶりの再会でしたね。それでもこの前会ったように触れあえる。そんな関係だと私は思っています。立派な白いひげを生やした司ちゃんに「明治の元勲みたいじゃん」と声をかけたものでした。

お通夜は、横須賀市津久井の荘厳寺というお寺でしめやかに行なわれました。それこそ昔の仲間たちがたくさん駆け付けていて、ここに司ちゃんがいないことの方が不思議な気分です。

現在、開港資料館で開催されている展示会は、最後の仕事とか…。絶対、見に行かなければなりませんね。

展示会「カメラが撮らえた横浜」

もうそろそろ40年になろうかというつきあいでした。かたわらでかみさんがボソッと言った「戦友だったんだね」というひと言が、ずしっと胸に響いています。

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