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灼熱の四十九日

それにしても司ちゃん、ここまで晴れわたらんでも…、暑くせんでも…。と、思わず呟きたくなる暑い日でした。先の日曜日、4日は、斉藤司君の四十九日の法要でした。初盆と納骨を兼ねています。場所は、葬儀のあった神奈川県横須賀市津久井の荘厳寺です。曹洞宗円覚寺派の古刹で、三浦不動12番、三浦地蔵9番札所に指定されているそうです。

横須賀市津久井の荘厳寺

何でもご住職は、司ちゃんの同級生だそうで、何ともアットホームな法要でした。終わったら、本堂の中で、参加者全員で記念撮影をするんですよ。こんなの初めてでした。いや、おもしろい。法要が終わったら、裏山の墓に納骨です。

こんなな青空なんですよ。そら暑いわ(^^;)抜けるようなと言うか、蒼天と言うか…。あまり日向のイメージはないので(失礼!)晴れ具合が半端ないのが余計に身に沁みます。

終わって、立正大学名誉教授の北村行遠先生による献杯で法要のお食事会です。ここで、関係者が故人の思い出を語ります。実は司ちゃんの奥さんが私のこのサイトを見ていらっしゃったそうで、その時に名前のあがっている皆さんを中心にご招待いただいたとのことでした。司ちゃんは顔が広いので、もっとたくさんの知り合いがいらっしゃったと思うのですが、本当に光栄なことです。

トップは、横浜開港資料館の西川館長、そして立正大学時代の先輩にあたる松尾さん、青木さん、元横浜市歴史博物館学芸員の曽根さん、現学芸員の苅田さん、そして私の順番です。それぞれに味わい深いお話を聞かせて下さいました。横浜市の博物館類は、横浜ふるさと財団が運営しているのですが、そのなかでも重要な役割を果たしていたことがわかります。なお、私は司ちゃんが山下公園の氷川丸で結婚式をあげた時に司会を務めていました。

最後は、横浜市歴史博物館の井上副館長。以前にも書きましたが、井上君と司ちゃんと私は同期の研究者になります。これに松尾さんと青木さんが立正大学での研究会のメンバーであったことは以前、書いたとおりです。後、東洋大学の白川部さんがいらっしゃったらパーフェクトでしたね。

ラストは、井上君です。井上君の話では、司ちゃんは、再任用を含めて、退職までに後5冊本を出す予定だったとか。今、4冊出していて、次の予定の二ケ領用水と幕府代官の小泉次大夫に関する著書の原稿は、すでに入稿しているそうです。井上君は、責任を持って刊行すると言っていました。もちろん、私もお手伝いするつもりです。後5冊の計画については、手帳にメモがあったそうです。でも、すべては幻になってしまいました。まだ1冊の本も出していない私は恥じ入るばかりです。『吉岡由緒書』の史料集を含めて、退職までには何とか私も5冊は出したいと、切に思った次第です。

横浜市歴史博物館の近世の常設展示は、井上君と司ちゃんが二人で創り上げたと言っていましたが、近世部門、いや博物館そのものを二人が中心になって創り上げたと言っても過言ではないでしょう。たまには大声で喧嘩をしていた二人です。いつも冷静な井上君が話の最後に声を詰まらせたのには、胸を打たれました。喧嘩も普通にできる二人だからこそ、私なんかはおよびもしない深くて大きな絆があったのでしょう。かみさんが以前つぶやいた「戦友だったんだね」という言葉は、二人にこそふさわしいのだと思います。

荘厳寺は、前述したように三浦地蔵9番札所でもあって、境内では、ユニークで可愛い地蔵様があちらこちらで微笑みかけてくれます。司ちゃんの魂もこの地蔵様たちが見守ってくれることでしょう、きっと…。

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投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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