緒形拳 蒼天の最終日 舞台への回帰

今日のつぶやき
緒形拳 蒼天の最終日 舞台への回帰

本日は、企画展「軌跡 名優緒形拳とその時代」の最終日です。昨日まではずっと雨が続いていたのに、今日は久しぶりに晴れましたね(^_^)v正しく蒼天と呼ぶに相応しい朝です。いつもの通学で車を走らせていると、相模大山(伊勢原市)に雪が被っているのが見えます。大山初冠雪ですね。

相模大山初冠雪

こんな日はもちろん、湘南キャンパスから見える富士山も美しいに決まっています。大学に着いたら取り急ぎ11号館の展示場に寄って、3号館の8階からパチリ!

3号館から眺める富士

今日も雲を従えていましたが、見えている部分は全面的に雪に蔽われていました。絶景かな!絶景かな!それにしても雨が降るより寒い日ですね。

でも、こうやって最終日にこれまでになくいいお天気になったのも天の恵み、緒形さんのプレゼントでしょう。この案内も最後になりました。第4コーナーは晩年の緒形さんと舞台です。

Ⅲ.舞台への回帰

 緒形は、映画やテレビで活躍する一方、舞台についても強い思いを抱き続けていました。1993(平成5)年には、劇作家北條秀司卒寿記念公演「信濃の一茶」で、新国劇創立70周年記念公演以来5年ぶりに舞台に立ちます。「信濃の一茶」は、緒形のために北條が書き下ろした作品で、江戸から故郷の信州柏原に戻った晩年の一茶を描いています。北條作品の真骨頂である人間の可笑しさと悲哀が存分に詰まった戯作であり、卒寿を超えた北條にとって最後の作品でした。
 「信濃の一茶」以降、緒形はまた積極的に舞台に立つようになっていきます。「ゴドーを待ちながら」や「子供騙し」では、小劇場を舞台に選んだり、地方をまわるなど、それまでとも異なった試みで舞台に立ち続けます。また、そのジャンルも「大菩薩峠」といった新国劇の名作時代劇から、シェークスピアの「リチャード三世」など、さまざまな役柄に挑戦していきました。40歳代は主に映画が主戦場でしたが、21世紀を迎えて、さらに自分の原点であった舞台に対する想いを強くしたように感じます。
 そして2006(平成18)年には、満を持してひとり舞台「白野」に挑戦します。「白野」は、フランスの劇作家エドモンド・ロスタンが、同じくフランスの剣術家・哲学者であった「シラノ・ド・ベルジュラック」を戯曲化した作品で、新国劇では、劇作家の額田六福が澤田正二郎のために翻案し、「白野弁十郎」と改題して、1926(大正15)1月に初めて上演されました。澤田の当り役の一つです。ただし、「白野弁十郎」では、舞台を幕末の京都に置き換え、主人公の白野弁十郎は、会津藩朱雀隊の隊士に設定されています。ここで白野は、大きな鼻というコンプレックスに悩みながらも、ひとりの女性を密かに慕い続けながら生涯を終えていくような、正義感の強い、騎士道精神にたけた男として描かれています。このひとりの女性、千種への想いを、同志の身代わりとして書いた手紙に託して、切々と読み上げていく場面が1番の見どころです。
 この「白野弁十郎」をひとり舞台として演じ続けたのが、緒形の師、島田正吾でした。緒形の「白野」も島田の「シラノ」をもとにしたもので、新国劇の、そして島田正吾の意志を継いだ演目でした。ただし、緒形の「白野」では、あえてシンボルであった大きな鼻はつけていません。
 今回の展示会では、「白野」の舞台で、実際に緒形が使用した衣裳も展示しています。

このコーナーでは、北條秀司の最後の脚本「信濃の一茶」の展示に少し力を入れて、小コーナーを設けています。

北條秀司と信濃の一茶

 北條秀司のもとには、「信濃の一茶」創作のためのメモやコピーなどを貼り付けたスクラップブックをはじめ、自筆原稿、自筆原稿のコピー、校正を入れたコピー原稿、仮台本に準備稿、考証のための書き込みがある準備稿・決定稿そして完成稿にいたるまでの各種の台本が残っています。その他にもポスター・チラシ・パンフレットはもちろんのこと舞台のキャスト表、各幕のあらすじを書いた表など、北條の創作過程から一つの舞台ができあがる過程を物語る大量の資料が残っています。それだけでも貴重な資料群と言えるでしょう。
 また、緒形の「信濃の一茶」にかける想いにも並々ならぬものがありました。2001(平成13)年に再演した後、、ゆくゆくは緒形自身が「ISSA」というタイトルで映画化することも考えていました。ここでは、ワープロで書かれた幻の「ISSA」の台本も展示しています。

最後のコーナーは、大恩人であり、仲人でもあった北條秀司の最後の作品「信濃の一茶」で始まり、新国劇由来の伝統演劇「白野」で締めています。恩師島田正吾のひとり芝居を受け継いだ演目です。志を受け継いだといってもいいかも知れません。

ひとり芝居「白野」の舞台衣裳

こちらは、「白野」の舞台で実際に使われた舞台衣裳です。左側には一部ステッキも見えます。

ここで裏話をひとつ。澤田正二郎から続く「白野弁十郎」の最後の決め台詞は、天まで持っていく男の象徴を「わしの兜の龍頭」と高らかに呼び上げて終わります。龍頭は、兜につける龍の飾り物のことですね。これが獅子であれば「獅子頭」です。

で、緒形さん、これを変えたいと思っていらっしゃって、さて、どういう台詞にしようか悩んでいらっしゃいました。なにせ私にまでお尋ねになったほどでしたから。今の人たちでは「龍頭」に込めた意味が理解できないですからね。

結局、緒形さんが選んだのは、「それは…男の心意気!」でした。発音としては、「龍頭」に比べると伸びやかさに欠けるかも知れませんが、実に緒形さんらしいと思っています。

明日は後片付けです。それでは皆さん、来年の今頃になります。次は横浜市歴史博物館で会いましょう(^^)/

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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