Professor's Tweet.NET

3月1日の三社参り

特に何というわけではないですが、大学院生が実家に帰る(引っ越す)のに、大学にいる間、相模国一ノ宮の寒川神社に行ったことがないというので、連れて行くことにしました。寒川神社は、神奈川県高座郡寒川町にある神社で、私が寒川町史編纂に携わるようになった1985年頃からそれこそ何度も訪れた神社でした。

寒川神社

私が町史編纂で通っていた頃の寒川神社は、ほとんど何もないといったら失礼ですが、ずいぶんと風景が違っていました。参集殿や廻廊などはありませんでしたし、拝殿の注連縄はもとより、これもずいぶんと違っていましたね。写真は、拝殿、山門、手水舎です。

ここは拝殿の向こうにすぐ本殿があって、参拝の様子が間近に見えます。それにしても感心したのは手水舎ですね。世の中、新型コロナウィルスでかなり神経質になっていますから、柄杓を止めて、竹を伝って流れる水で手を洗うようになっています。なるほど、これでいいんじゃないのと思われる風景でしたね。

お昼は、茅ヶ崎市の香川にある「MIKICHI TRATTORIA」というイタリアンレストランです。こちらは熊澤酒造という湘南に唯一残った酒造屋さんが経営しています。関連のお店が茅ヶ崎や藤沢にもあるようですが、ここには「青天」という和食レストランやカフェ、パン屋さん、雑貨屋さんなどが集まっていてなんだか楽しい空間です。

MIKICHI TRATTORIAの料理
MIKICHI TRATTORIAのデザート

MIKICHI TRATTORIAでは、野菜サラダ、ピザ、パスタ、大根とニンジンのピクルス、ポテトフライをシェアしながらいただきました。どれもおいしかったですよ。それにデザートも、とくにバニラアイスクリームの滑らかさは奇跡的でもありました。

2社目は、伊勢原大神宮です。以前、伊勢原市立図書館で「伊勢原の江戸時代」というテーマで講演をやったことがありました。伊勢原村、伊勢の商人が元和6年(1620)に開いたという伝承のある村です。実際、伊勢原村は江戸時代の初めに新しく開かれた村で、村絵図を見ても町場のように、街道の両脇に軒を並べる形であったことがわかります。それ以前、戦国時代までの中心は糟屋村(太田道灌が殺された場所として有名です)で、伊勢原村の開村は矢倉沢往還と大山参詣に関係していると思われます。

ただし、明らかに元和6年だと証明する史料はなく、元和5年説や慶長期(1596~1615)などがあります。ただし、寛保2年(1742)の「伊勢原建て始め」という史料には、元和6年に開村して、享保4年(1719)までで100か年にあたるので、3月21日と22日の両日「百ケ年のための祝い」を行ったとあります(『伊勢原市史』資料編近世1No.9)。だから、この「百年祭」開催を期して、元和6年開村と正式に決まったと言ってもいいかと思います。それでいいのです。そうやって歴史的に決定されたということです。

伊勢原大神宮は、伊勢神宮の内宮を勧請したもので、元和6年開村に合わせて考えて、今年が創建400年となっています。なんだか回りくどい言い方ですが、そういうことです(^^)

最後は、相模国三ノ宮の比々多神社です。ここは令和になって最初に御朱印をいただいた神社でもあります。我が家を建てるときに地鎮祭を執り行っていただいたのも比々多神社でした。

比々多神社

比々多神社は、遠目でもわかりますように、5連並んだ長い本坪鈴が特徴的です。そんなに大きな神社というわけではないですが、この本坪鈴の風景が好きで、お気に入りの神社の一つです。

というわけで、3月1日の三社参り。よい思い出になってくれれば幸いです(^_^)

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
モバイルバージョンを終了