日向薬師 送り火 残暑

今日のつぶやき
日向薬師 送り火 残暑

今日はお盆明けで、送り火です。例年のように、送り火をする家のお飾りに線香をあげて回ります。といっても、近辺で送り火をしている家は、うちをいれて4軒だけです。そもそも福岡の実家で送り火をしたことはありません。こちらに来て、へぇ~こんなことをやっているんだと思ったくらいです。精霊流し等々迎え方送り方はその地方地方によってまちまちですね。ただ、今年の夏はクッソ暑いだけで、盆踊りもあつぎ鮎まつりもなく、ただただ淋しいだけの夏です…。

送り火

左上の写真がわが家の送り火です。茄子とキュウリのお馬さんは、送るのだから門の外を向きます。ご先祖様また来年!といっても、馬場家ではないのですけれどね(^^;)

昨日は、本学の医学部付属病院で人間ドックを受けて、帰りに伊勢原市の日向薬師にお詣りしてきました。「ひなたのやくし」と読みます。かの北条政子も安産祈願をしたという古刹で、薬師如来は重要文化財に指定されています。

日向薬師

薬師様を祀ったお寺ですから、病気平癒や安産祈願の古刹です。数年ぶりに訪れてあまりにきれいに整備されているので、驚きました。茅葺きの屋根もきれいに葺替えられていて、お堂自体もきれいに塗り替えられていました。参道には「南無薬師如来」の旗が風にはためいていて、鄙びた感じが好きでしたので、なんかちょっと淋しかったりしています。

伊勢原市では、大山阿夫利神社、大山寺などともに日本遺産に登録されましたので、とくに本学の観光学部と組んで観光に力を入れています。ただ、歴史的な視点が弱いんですよね。一応、触れるのですが、創建の事情に触れたとしても、その後の歴史的経過で、地域の人びとにとってこの寺がどういう意味を持っていたのかとかね。

薬師様ではありますが、もちろんお願いしてきたのは、今年の秋の展覧会「俳優緒形拳とその時代-戦後大衆文化史の軌跡-」の無事の開催と、こういうコロナ禍にあっても盛会であってほしいというお願いです。

そうこうしていたら、渡哲也さんが亡くなったというニュースが飛び込んできました。10日にお亡くなりになっていたそうですね。「大都会」「西部警察」世代としては淋しい限りです。弟の渡瀬恒彦さんも含めて好きな俳優さんでした。

葬儀は家族葬で、お別れの会もしないというのが遺言とか。最近のCMで亡き石原裕次郎さんと共演したのがありましたが、あれって何だか裕次郎さんが迎えに来ているような感じがして、ちょっと哀しいなと思っていたら、何だが実際にそうなってしまいました。石原軍団の解散も決まって、裕次郎さんの遺言通り、きっちり仕事を終えて旅立たれたのですね。

あれほどの人でお別れの会もないとは、ちょっと淋しいですね。でも、考えて見たら、緒形さんは偲ぶ会がありましたけれど、ああいう会を開くのも異例です。たくさんの俳優さんや女優さんがいらっしゃっていましたから。あれだけの芸能関係者をみることはもうないだろうなと思ったものでした。

そうやって考えてみると、私たちがやろうとしている展覧会はとんでもないことではないかと思えてきました。今、ハッピーさんが一生懸命、映画配給各社や各テレビ局に展示の許可と協力をお願いしてくださっていますが、やればやるほどいろんな権利の問題をクリアーするのがたいへんです。誰であろうと、またどんなテーマであろうと、現物を用意したこれだけの展覧会は、今後は開けないのではないかと、空恐ろしくなってきました。今さらながらですが…(^^;)

明日から季節は残暑です。

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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