緒形拳展覧会余録 アンケート集計結果①

今日のつぶやき
緒形拳展覧会余録 アンケート集計結果①

1月もそろそろ終わりですね。昨年のことを言うと鬼が笑うと言いますが?!せっかくアンケートの集計をいただきましたので、公開したいと思います。横浜市歴史博物館企画展俳優緒形拳とその時代-戦後大衆文化史の軌跡」です。今回は第1弾になります。①男女比、②年齢、③どこから来館されたのか、④来館回数、⑤展覧会の満足度、⑥理解が深まったか、⑦パネルのわかりやすさ、⑧興味をもったコーナーの8項目です。

なお、入館者数は7,611名で、アンケイートの回収枚数が765枚です。回収率は10.05%となります。だいたい300枚回答があれば統計として使えると言われていますから、十分かと思います。今回は特にQRコードを使って、かつポストカードや缶バッチがもらえましたから、それも大きかったでしょうか?

まずは①男女比から行ってみましょう!有効回答数は758件です。

当たり前だと言えば当たり前ですが、女性の方が多いですね。圧倒的かというと…やはり男性のファン方も多いかと思います。でも、やっぱり女性に人気が高いのは間違いないかと。

次は年齢構成です。有効回答数は759件です。

やはり50歳代が一番多くて、ついで40歳代そして60歳代です。私が最初に観たのがNHK大河ドラマ「太閤記」(1965年)でしたから、やはりこのあたりの皆さんがコアですね。ただ、そうしますと、1980年代の作品、テレビで言えば「必殺仕掛人」、映画で言えば「鬼畜」とか「復讐するは我にあり」でしょうか。

次はどこから来館されたか?のデータです。有効回答数は752件です。

これもやはり横浜市内の方が1番多くて半分強、2番目が東京、そして3番目が横浜市以外の神奈川県内になります。ただ、その他は0.4%ですが、北は北海道(1名)から愛知県(7名)、大阪府(6名)、兵庫県(6名)と東海道筋からもいらっしゃっています。また四国は高知県(1名)から、九州は福岡県(1名)と熊本県(1名)いらっしゃっています。さらに北陸からは新潟県(2名)から来館されていますが、東北地方と中国地方はなかったですね。ただ、アンケートを提出されていないだけかも知れません。もし、新型コロナウイルスの影響がなかったら、宣伝次第によっては全国から観に来ていただけたかも知れないなと思っています。

次は来館された回数です。有効回答数は758件です。

これははっきりと傾向が現れていますね。初めて来館された方が496件で65.4%となっています。横浜市歴史博物館は地域博物館ですから、もちろん横浜の歴史を調べて研究して展示するのが使命です。とはいえ、こうした展覧会を開催すれば新規の来館者を開拓できますし、先のアンケートと合わせればそれこそ全国から観に来てもらえる可能性があるということです。

さて、これからは実際にご覧にいただいた感想について見ていきます。まずは展覧会の満足度です。有効回答数は765件です。

たいへん満足したが536件で70.1%、満足したが223件で29.2%で2つを合わせますと99.3%になります。監修者としてこれは嬉しいですね。

さらに次は展覧会内容から理解が深まりましたかという質問です。有効回答数は762件です。

これは捉え方がいろいろあろうかと思います。緒形さんに対する理解、緒形さんが出演された映画やテレビドラマ、舞台への理解、その時代背景についての理解です。

それでもたいへん深まったが599件で78.6%と占めていること、あまり深まらなかったが0であったことは嬉しいというか、ホッとしますね。

次はパネルの説明はわかりやすかったですかという質問です。有効回答数は761件です。

とてもわかりやすいが385件で50.6%、わかりやすいが344件で45.2%二つを合わせると95.8%ですか?監修者としてはこれが一番嬉しいですね。出展数が350点ほどで解説の数も多く、その一つ一つを限られた範囲の中で書いていくというのはなかなか骨の折れる作業です。ましてやすべての作品を見ているわけではないですから、正直なところ、インターネットがなければ書けませんでしたね。また、ドキュメンタリーのコーナーは、現場の様子が大事ですから、マネージャーのハッピーさんがいらっしゃらなければ書けなかったと思います。私はほとんどその手直しをしただけですから。

とりあえずはご満足いただけたようでよかったです。満足できなかった方はアンケートには答えないといわれればそれまでですが…(^^;)

最後に緒形さんの俳優人生を通史的に見て、5つのコーナーに分けたL字展示に対して、印象に残ったコーナーあるいは興味をもったコーナーについて回答していただいたものです。有効回答数は761件ですが、これは複数回答可となっています。

もっとも多かったのは、Ⅱ.テレビから映画へのコーナーでした。1968(昭和43)年から1979(昭和54)年まで、緒形さん30歳代です。実はコーナーとしては1番短かったのですが、テレビでは「必殺仕掛人」、映画では「鬼畜」と「復讐するは我にあり」があって、緒形さんが本格的に映画に進出していく転機となる時代です。

2番目がⅠ.新国劇と緒形拳のコーナーでした。1958(昭和33)年に新国劇に入団して、1968年に退団されるまでの時代です。20代の頃ですね。この時代にNHK大河ドラマの「太閤記」で主役の豊臣秀吉役(1965年)、「源義経」で弁慶役(1966年)と連続で務められたということもあるでしょうが、むしろ、新国劇の時代を知らない方が多かったでしょうから、そうした意味で興味を引いたのかも知れません。この時代のことは別に書いてみたいですね。

3番目がⅢ.多様化する大衆文化の中でで、もっとも映画に出演されていた、まさに全盛期です。男盛りの40代です。ただ、Ⅳ.時代の転換期にとは1票しか違わないんですね。

ざっくりとアンケートの結果を統計処理してみました。と、統計処理をされたのは横浜市歴史博物館ですね(^^;)ご苦労さまでした。

皆さま、いかがだったでしょうか?

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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