渋谷の墾田永年私財法

今日のつぶやき
渋谷の墾田永年私財法

一昨日書きましたように、本日は渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムに「写真家ドアノー/音楽/パリ」展を観に行きましたBunkamuraには、昨年の緒形拳さんの展覧会でたいへんお世話になりました。Bunkamuraの舞台シアターコクーンで緒形さんが「ひとり芝居 白野」を上演されていましたので、ご協力いただきました。私もこちらと早稲田大学大隈講堂での公演の2度拝見しています。ご協力いただいた御礼もしなければなりませんでしたので、緊急事態宣言下ではありましたが、訪問させていただきました。ちゃんと御礼をさせていただきましたよ。

左側の写真は唯一撮影を許されたドアノーさんの写真です。ロベール・ドアノー(1912~1994)は、フランスの写真家で「パリ市庁舎前のキス」はもっとも有名な作品です。こちらが観られるのかなと思っていましたが、タイトルが示すとおり、パリの中の「音楽」に関する写真展でした。第二次世界大戦が終わった後、安堵が訪れたパリの街でいかに音楽が人びとの心を潤したか、その写真からは音楽が、歌声が聞こえてきそうでした。あまり写真には詳しくないのですが、迫力というよりもその眼差しの優しさが心に沁みました。緒形さんを写した著名な写真家ということで観に行ったのですが、改めてその凄さに触れた気がしています。そう言えば、写真の中の緒形さん、凄く嬉しそうで穏やかで怖いイメージの緒形さんとは全く対極でしたね。

結構、たくさんの方が見にいらっしゃっていて、その意味でもその価値を再確認しました。お勧めの展覧会です。

終わった後に、ふと思い立って、国会議事堂の近くにある日枝神社にお詣りに行ってきました。そう赤坂の日枝神社です。ここでは日枝神社となっていますが、もう一つ「日吉神社」とかいて「ひえじんじゃ」という呼び方がありますが、どちらも滋賀県の日吉大社の分社です。私が住んでいる厚木市には日枝神社も日吉神社もあります。

赤坂の日枝神社は、江戸城の鎮守として祀られた神社で、江戸時代は「日吉天王社」「日吉天王大権現」などと呼ばれていましたが、慶応4年(1868)6月11日以来「日枝神社」の称号を用いるようになり、江戸城が皇居になってからは皇居の守り「皇城の鎮」となったとのことでした。

左下の扁額には「皇城の鎮」と確かに書いてありました。そして上が拝殿なのですが、結構、参拝客が並んでいる様子が分ると思います。はい、結構、密でした(^^;)

右下は日枝神社の別の参道で「山王稲荷神社」とあります。日枝神社には稲荷神社も合祀されているのですね。拝殿は別でしたのでそちらもお祈りしてきました。その拝殿横の赤い鳥居の参道です。もっとも、私は裏参道の大鳥居から参詣しました。

まぁ~大きな鳥居で神社まではかなり勾配がありましたから、2ケ所のエレベーターが設置されていたのにはちょっと驚きました。考えてみたら、江戸三大祭り&日本三大祭りの一つ「山王祭」で有名な神社ですからね。確か、神輿は江戸城に入った?のでしたっけ。

それにしても惜しむらくは戦前は国宝だった本殿・拝殿をはじめとする建物が空襲で焼けてしまったことです。現在の建物は昭和33年(1958)の再建だそうです。ん?同い年やんけ!

それにしても(Part.2)本日最大のヒットは渋谷駅前のこちらでした。

よもやヨーグルトドリンクの広告だとは思いますまい…。それにしても(Patt.3)國學院大學とかの入試の解答だったらどうなんでしょう?駅の出口が違いますか…(^^;)

さて、明日と明後日で何とか採点を仕上げるぞ~!!

追伸:こちらは「ハチ公口」だったので、「墾田永年私財法」より「生類憐みの令」の方がよかったんじゃないか…と、改めて思っております(^O^)(^O^)(^O^)

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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