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茅葺き屋根?藁葺き屋根?

今日から5月!ゴールデンウィーク真っ最中で大学に行ってみると、警備員さんも普通に立っているし、意外と学生も多いし、先生の車も結構停まっている…。と、思ったら、ゴールデンウィークといっても、本日は普通の土曜授業でした(^^;)ゴールデンウィークという言葉につられていたことと、昔はゴールデンウィークといえば、29日から5日までは普通にお休みでしたからね。今の方がよっぽど勉強しなければなりません。もちろん、それは半年に14回の授業は必ずやるべし!という文部科学省からの通達が出てからでした。それよりも今年は、というより去年から新型コロナウイルスの影響が大きくて、何とも不安定な初夏です。

学校に来ていることで、本日も大学史ネタをもう一つ。

1号館から3号館までが建っていて、4号館まだですね。3号館の竣工が昭和41年(1966)年の11月30日、4号館の竣工が翌年の11月1日ということですから、枯木の具合からいっても昭和41年の暮れか42年の年明けかといったところでしょう。3号館竣工の記念に撮影したと思えば、41年の暮れに1票を入れたいですね。

それにしても手前を見れば、茅葺き屋根が軒を連ねていて、何とも長閑な風景です。ちょうど平塚市の南金目から撮った風景です。それにしても1号館、2号館、3号館のフォルムが斬新すぎて、建ったときには近所の方も驚いたでしょうね(^^;)建築家山田守といえば、日本武道館や京都タワーの設計で有名ですから、日本的な建築を得意としているかといえばさにあらず。こうした前代的建築が山田らしいといえるかと思います。それゆえに余計に近場の茅葺き屋根が目を引きます。

と、ここまで述べたところで、実はこの屋根は茅葺き屋根では亡くて、藁葺き屋根、それも麦藁葺きの屋根でした。茅はガヤ・スゲ・ススキなどのイネ科草本の総称で、伐採すること自体がたいへんなくらい丈夫な草本です。実際、みかん山の草を草刈り機で刈り取っていた時、茅に来ると機械で苅るのにも苦労しましたもん。

俗に「茅40年、麦藁15年、稲藁7年」といいまして、茅が圧倒的に長持ちするのですね。それでもここら辺の農家が麦藁であったのは、前回の話になりますが、ここら辺が相州小麦の一大生産地帯であったということと関係しているのでしょう。もちろん稲作の盛んでしたが、稲藁より麦藁の方が長持ちしますからね。

そんな話をしていたら、平塚市博物館学芸員の早田さんから、聞取り調査で、このあたりも昔は茅葺きだったけれど、昭和の初期頃から麦藁に変わったという話があったそうです。うむむ、相州小麦の話で終わればうまくおさまったのですが、なかなかそうは問屋が卸しませんね(^^;)地域の歴史というのは、というより歴史というのはそれだけ奥深いもので、決めつけは行けませんね。

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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