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横浜市歴史博物館見参!

昨日の箱根町立郷土史料館に続いて、本日は横浜市歴史博物館に見参です!本日は普通に企画展「橫浜の大名-米倉の幕末明治」を見学するために来ました。考えてみたら、去年の今ごろは企画展「戦後大衆文化史の課題-俳優 緒形拳とその時代」の真っ盛りで、土日はほとんど博物館に足を運んでいましたね。

横浜市歴史博物館は、結構、テレビのロケとかでも使われているんですよ。去年は高橋克典さん主演のドラマで、銀行として使われていました。あ、本論とは関係ありませんね。本当という言葉時代が論文的ですね…(^^;)

以前にも書きましたが、武蔵国金沢藩(六浦藩)米倉家は、橫浜に陣屋を置く唯一の大名です。元禄11年(1698)、5代将軍綱吉の代に側用人を務めたことで5000石を加増されて旗本から大名になり、享保7年(1722)、8代将軍吉宗の代に陣屋を下野国皆川から武蔵国金沢に移します。朱印高は1万2000石でした。

企画展では先に紹介したように米倉家が戦国大名甲斐武田氏の家臣であったことから、その時の史料から始り、浦賀(横須賀市)の海防から幕末維新期の米倉家と領内(下野国[栃木県]領分の動向を含みます)の動向、そして明治になってからの藩制改革、版籍奉還、そして廃藩置県後までを追いかけています。

私がとくに興味深かったのは、武田信玄・勝頼に仕えた米倉信継と重継そして元禄期に大名に取り立てられた昌尹の三名を「三侯大明神(さんこうだいみょうじん)」として、神さまとして祀ったことでした。天保9年(1838)4月19日に京都の吉田家から、信継・重継・昌尹それぞれと三侯の神号を授ける「宗源宣旨」も展示されていました。これは御神体そのもので、通常はみることもできない史料とのことですよ。

そしてこの「三侯神社祭礼行列之図」も興味深いですよ。殿様が直々に祭礼を挙行し、大勢の文集が集まっている状況が描かれています。当日は「湯神楽」も行なわれて、この湯を浴びた人は幸いが訪れる、病気にならないとか言われていて、それを待ち望んで集まっているのでしょうね。廊下にはこの図を大伸ばしにした図が張り出されていてじっくりと眺めることができます。

お昼は、久しぶりに博物館近く(と言っても車で行かないと遠いですが)「うめや」という定食屋さんに行って、今回は金目鯛の開き定食をいただいてきました!

お昼を食べたら、井上副館長に今回は展示されていない米倉家の古文書を見せてもらいました。詳細はまだまだ言えませんが、武田家から徳川家に関する史料や幕府の家譜編纂に関する史料等々もう興味深くておもしろくて久しぶりに興奮してしまいました。小田原の陣後、江戸の入った家康から小田原城を与えられた大久保忠世・忠隣とも関係があることもわかりました。これらの史料の全体像が明らかになったらまた新たな展覧会が開かれるのでしょうが、待ちきれないですね。私自身がこの研究に参加させていただきたいなと思ったほどでした。あ~ぁ、もう少し若ければなぁ…。

重ねてで恐縮ですが、私が編集した『幕末風聞集 増補改訂版』も売店で販売されていますので、行かれた方は、よろしければぜひお求めいただければと思います(^^)もちろん、Amazonや楽天ブックスでも購入できます!

それにしても、今日は久しぶりに大口勇次郎先生にお目にかかって挨拶することができたし、天気もよくて、清々しい秋の一日となりました。

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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