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ふるさとは遠きにありて…

ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや

大正6年(1917)9月に発表された室生犀星(むろうさいせい)の詩集『抒情小曲集』に収録された、有名な「小景異情(その二)」と題する詩ですね。ふるさとを離れた人間にとっては、中原中也の詩「頑是ない歌」の「思えば遠く来たもんだ 十二の冬のあの夕べ 港の空に鳴り響いた 汽笛の湯気ゆげは今いづこ…」とともになんとなく口ずさんでしまう詩です。武田鉄矢さんをリーダーとする海援隊にもこの「頑是ない歌」をモチーフにした「思えば遠くに来たもんだ」という歌がありました。

なんて、もの凄く感傷的になるのも本日1月24日(月)に、NHKで放映されている「鶴瓶の家族に乾杯」という番組で、福岡県の八女市が紹介されていたからです。番組では八女市の福島町と黒木町、矢部町、星野町が紹介されていました。福島町はそもそも八女市の中心部にある商業が盛んな町だったのですが、黒木町・矢部町・星野町は、もともとは八女郡で、平成の大合併で八女市に吸収合併された町です。とはいえ矢部と星野は村だったんですけどね。そして唯一合併しなかったのが、私のふるさと八女郡広川町でした。

いずれにしても、私が福岡県出身でありながら、県立福島高等学校という名の高校を卒業したのもそうした意味がありました。

城下町として栄えたというのは、戦国時代は蒲池氏の所領であったこの地を、豊臣秀吉の九州平定後に筑紫広門に与え、この福島を中心として、当時はまだ珍しかった平城を築いたことに始まるそうです。その後、関ケ原の戦いで石田三成捕縛の戦功があった田中吉政に筑後国35万石が与えられた後、吉政とその子忠政の代に三重掘三層天守の筑後地区最大級の平城として改築されたとのことです。ふるさとのことなのにあまり詳しくはないです(^^;)

ただし慶長20年(1615)閏6月に幕府が出した一国一城令によって、この福島城も破却されてしまったそうです。城郭としての面影は今はまったく残っていません。天守などはなおさらで、本当に残念ですね。とはいえ、その後も久留米藩領内では最大級の在郷町であったと言われ、また元が城下町であったためにその町割りも城下町の名残りを残しているのだとのことです。私がふるさとにいた1970年代の終わりに比べて、もの凄く町並みの整備が進んでいます。白壁の町並みはなかなかのものですよ!このサイトでも何度が紹介しましたが、ぜひ皆さんもコロナ禍がおさまったらぜひ訪ねてみてください。春のぼんぼり祭りは一見の価値がありますよ。昔、紹介したことがありましたね。

実は、このサイトを見てくださった荒川由美さんという八女市観光課の方からFacebookのチャットに連絡をいただきまして、この番組のことを知ったのでした。ひとしきり八女の話で盛りあがって、もう懐かしさに涙が出そうでした。しかも荒川さんは高校の後輩だそうです。いや~ネットの時代、世間はますます狭くなりましたね。

そうそう秋分の日頃に開催される八女燈籠人形という人形芝居も見ものですよ。神奈川県内に相模人形芝居が残っていると知ったときには、この八女燈籠人形のことを思い出しまして、懐かしかったです。

さて、本日の放送では、まる昌の醤油屋さんが出ていたのに感激しました!

まる昌醤油は、実家の御用達?!でした。実は母の兄、つまり母の実家の伯父が農林業の合間に、このまる昌の醤油の卸しをやっていて、うちにもよく届けてくれました。一升瓶で買っていましたね。もちろん甘めのたまり醤油です。実家の妹は今でもこの醤油もしくはたまりの醤油でなければだめで、こちらに遊びに来るときには醤油を持ってきていました。

私は高菜と馬刺しだけは今でもこの醤油でないとダメなんですよね。そのためにうちの娘たちも同じになってしまいました。その昔、まだ娘たちが小さかったときのことです。教え子たちがうちに遊びに来たときに、実家から馬刺しを送ってもらって出したのですが、醤油をかける際に「ダメ、醤油はこっちを使うの」と娘が指示していました。それ以来、馬場家は2種類の醤油を使う家だとしばらく言われていましたね。

写真の右上が、八女市福島町にあるお店に並んだまる昌の醤油です。ただ、この醤油の製造は昔から黒木町でした。黒木町は母の実家がある町です。まぁ~だから伯父が醤油の卸しをやっていたのですがね。

今もまる昌さんから直接、醤油を通販で買っています。妹も送ってくれます。まったくの偶然なのですが、今日の晩飯は牛丼に、妹が送ってくれた高菜と明太マヨネーズをトッピングし、すき家の明太マヨ牛丼を気取って食べていました(^_^)vさらに私は別に高菜の油炒めも食べています。高菜の油炒めも炒めたてのあったかいときが1番美味しいのです。ほら、テレビに映っていた「まる昌醤油のうまくち」がうちにもあって、結構、使っているでしょう!

さて、八女と言ったら何といっても八女茶!

こちらはさかなクンがお茶畑に行ったところです。八女茶は強い香りと甘みが特徴です。ただし、お茶っ葉が開くのに若干時間がかかります。開いたら、香りと甘みがそれぞれの茶碗に行き渡るように少しずつついでいきます。こちらでは、茶を1杯1杯ついでいくのに違和感を覚えたことがあります。えぇ!少しずつついでいくんじゃないの?と…。

八女茶は明から帰国した栄林周瑞禅師という僧が、応永30 (1423)年に黒木町の山里に霊巌寺というお寺を建立するとともに、釜炒り茶の栽培・喫茶法を地元の庄屋 松尾太郎五郎久家に伝えたのがはじまりだとされています。詳しくは昔のブログで書いていますので、こちらをどうぞ!

その時にアップした写真をまとめてこちらでもアップしておきますね!

左上が霊巌寺と栄林周瑞禅師の像です。右上と左下が霊巌寺周りのお茶畑です。そして右下が霊巌寺の奇岩珍宝岩です(^^;)

八女は山と盆地で海はありませんが、とにかく自然豊かなところです。

帰りた~くなったよー♪君が待つ街へ~♪

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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