岡山城と後楽園

今日のつぶやき
岡山城と後楽園

さて、ゴールデンウィーク(実際は、終わった後ですが)明石から岡山への旅の締めくくりは、岡山城と後楽園です。ここは小田原藩大久保家とはとくに関係があるわけではないですが、滞在したホテルでちょうど足場もとれたと聞きましたので。現在、岡山城は大改修工事をやっていて、今年の11月3日にリニューアルオープンするそうです。

漆黒のその姿から、別名烏城とも呼ばれる岡山城は、備前一国と備中の一部31万5000石を有する本国持大名池田家の居城でした。残念なことにアジア太平洋戦争におけるアメリカ軍の岡山空襲で焼失してしまいました。再建した姿も結構、立派ですが、現存していれば…と、つくづく思います。

現存天守は12あって、その内、姫路城、彦根城、松本城、犬山城、松江城が国宝です。また、空襲で焼失した天守にはこの岡山城をはじめ、名古屋城、和歌山城、大垣城、広島城、福山城、そして水戸城・御三階櫓の7天守がありました。本当にもったいない話です。

結局、足場はまだ全部がとれていたわけではなかったので、とりあえず遠目から眺めるだけにして岡山藩の庭園で、水戸の偕楽園、加賀の兼六園と並ぶ三大名園の一つ、後楽園を見学することにしました。

一つの島を回遊式の庭園にしてしまうなんて…。いや~規模がでかい!偕楽園も兼六園も見学しましたが、この突き抜けるような爽快感はまた別格ですね。萱葺きの家屋や茶屋があるかと思えば、定番の浮島や築山 はもちろんのこと、茶畑や井田などの生産の場所も取り入れるなど、構想も構成も素晴らしいですね。って、庭園のことはほとんどわかりませんが…(^_^;)せっかくですから、左下の築山から見た風景の動画をアップします。

くり返しになりますが、こうしてみても本当に広くて、突き抜けた爽快感があります。想像以上でした。

こうして播州から備前・備中をめぐる旅は終わりました。下総佐倉城もそうでしたが、やはり現場は自分の目でみて、肌で感じることが重要です。

後楽園からの帰りには路面電車を利用しました。岡山も路面電車残っていたのです。高知に行って以来ですが、路面電車がとにかく好きなんですよ。

私たちの世代には懐かしいチューリップというバンドの曲に「夕陽を追いかけて」というのがあります。財津和夫さんが作詞・作曲された曲で、しばらくぶりに帰ってきたふるさとは大きな街に変わっていたといったフレーズで始まる歌です。

1977年、福岡は志賀島の手前にある全寮制の予備校に通っていた私は、実家の八女に帰るときにこの路面電車を使って福岡の天神まで出ていました。福岡市内の路面電車、正式には「西鉄福岡市内線」といったそうです。

「夕陽を追いかけて」では先のフレーズの後に「体をゆすって 走ってた 路面電車は 今はもうない」と続きます。路面電車の全線が廃止されたのが1979年2月11日とのことで、「夕陽を追いかけて」は1978年6月20日にリリースされたの曲だそうです。恐らく、貝塚線などの乗り入れを含めたいくつかの路線の中で、市内のそれこそ路面電車が廃止された後の歌なのでしょう。私も大学時代、しみじみと聞いていたことを思い出しました。だから今でも路面電車が大好きなのです。近くでは江ノ電も一部路面を走るところがあって、この風景がやはり好きなんです。

路面電車から最後は話題がそれてしまいました(^^;)それだけいろいろと感慨深い旅だったということでお許しいただければと思います。

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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