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謹賀新年 卯年 三社詣り

新年あけましておめでとうございます。とはいえ、すでに3日となってしまいましたが、このサイトも鋭意更新していきたいと思いますので、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

今年は元日からしっかりと書いていこうと思っていたのですが、せっかく下の娘が帰ってきましたので、かみさんともども三社詣りをしまして、結局、書かずじまいになってしまいました(^^;)一年の計は元旦にあり!ですから、先が思いやられます。とにかく今年は呟きまくりたいと思っていますので、事後になりますが、まずはそのお話から。

何はともあれ、最初に行きましたのは地元の子の神神社へ。ムラの神社は鎮守、産土神、氏神と三位一体というのは以前にも書きました。

例年なら紅白歌合戦を観て、行く年来る年で新年を迎えたところでお詣りに行くのですが、今年は明けてからでいいだろうということで、正月のお祝いをしてからお詣りに行きました。毎年子の神神社では、鎌倉の銭洗い弁天で洗った5円玉を配っています。さすがに朝にはなくなっているだろうと思っていたのですが、まだいただくことができました。これは春から縁起がいい!

さて、2番目は相模国一の宮である寒川神社へ。相変わらず新型コロナウイルスは流行っていて、今年はインフルエンザも流行しているそうですが、自粛そのものはかなり緩和されましたから、寒川神社の初詣も結構な人出でした。、

車を停めるのもひと苦労で、1000円払って臨時の駐車場に停め、少し歩きました。そんな具合ですので、人出も結構、多かったですね。何より露店の多さに驚きました。そして何より驚いたのは、山門に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の、ねぶたの飾り?!みたいなものが飾ってあったことです。これは毎年のことなんでしょうか?正月にお詣りしたことはなかったので…。

私が寒川町史の調査員を始めたのが確か1985年頃のことで、当時の寒川神社はもっとこぢんまりとした神社でした。それからずいぶんと改築が進んだんですよね。とにかく元日は突き抜けるような晴天でしたので、神社自体が輝いていました。

三社目は、今回初めて訪れた秦野市の「出雲大社相模分祠」です。

出雲大社相模分祠は明治21年(1888)に、島根県の「出雲大社」第80代国造・千家尊福に請願して、秦野の中心である曽屋村累代の神職であり、「秦野煙草の祖」とされる草山貞胤が、出雲の大神の分霊をこの地に鎮祭し、大国主大神の神徳を関東地方に広めるための要処として創立したということでした。出雲大社には昨年の夏に行く予定だったのですが、コロナ禍で泣く泣く諦めました。なので、まだ本社にはお詣りしていないのですが、結構りっぱな神社で、注連縄もなかなかしっかりしていました。ここもさすがに参拝客が多くて、車を停めるのもひと苦労しました。こちらも少し離れた場所で、南中学校が駐車場として開放されていましたので、そちらに停めて歩いてお詣りです。

出雲大社相模分祠は、お守りの種類が大きくて、ペット守もありました。そうです!今年の卯年、うさぎの年なのです。八之助君の年なのです!ただし、昨年母が亡くなりましたので、今年は残念ながら年賀状を出すことができませんでした。そこで、最後に八之助君に挨拶してもらいましょう!!

昨年はロシアのウクライナ侵攻に、物価上昇、円安といった経済不安、統一教会問題(これは私の学生時代から問題になっていたのですが…)等々不安な情勢が続きました。今年もいろんなことがあるでしょうが、負けないように、挫けないように、怠らないように、本気で、元気で、根気よく頑張りたいと思っています。そして世界には平和を、皆さまには、日々の健康と平穏を切にお祈りしたいと思います。

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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