68年ですか…。

今日のつぶやき
68年ですか…。

新型コロナウイルス感染症のワクチン5回目を打ちました。4回目まではモデルナだったのですが、今回はファイザーです。モデルナの方が副作用が強いといわれていましたね。でも、ファイザーでもやはり左腕が痛いです。熱はないようです。

ワクチン接種の場所は、厚木シティプラザ6階の老人福祉センター寿荘でした。厚木シティプラザは、日本一小さなプラネタリウムのある神奈川工科大学厚木市こども科学館や、厚木市立中央図書館のあるビルです。完成が1984(昭和59)年と言うことですから、もうかなり古い建物となります。あまり改修工事などもされていませんので、外観もかなり痛んでいるのが悲しいです。翌年結婚して厚木に住むようになってから、ここの図書館はちょくちょく利用していました。ただ、完成当時、地下にパチンコ屋がオープンしたことで、結構、大きな問題になりました。図書館やこども科学館があるビルの地下ですからねぇ。

それよりも哀しいのは、厚木シティプラザの道向かいにある、いやあった千石屋というお菓子屋さんが昨年の大晦日で閉店したことです。

上の写真は、まさにその大晦日のものです。閉店が告知されてから毎日こんな感じで大勢の人が訪れていました。左下にあるように、ここのお店は量り売りで有名なんです。私もよく買いに立ち寄りました。ここのベビーシュークリームと海老満月に芋満月が大好きでした。200グラムからなので、ちょっと食べ過ぎてしまうんですよね(^^;)

開店したのが1955(昭和30)年からとのことですから、私が生まれる前で、68年の間この地で営業していたのでした。厚木市出身の作家で和田傳(わだでん)という方がいます。戦前から戦中・戦後の農村について書かれていて農民作家として有名です。その中でも、戦後、農地解放後の相模平野における農業の近代化、農村の民主化と旧習との軋轢を描いた「鰯雲」は名作として有名です。「鰯雲」は淡島千景さん主演で東宝から映画化もされています。成瀬巳喜男監督で、脚本が橋本忍さんでした。淡島さんは、新しい時代に生きる農家の女性像を表わしていました。これに対比して、本家の当主を演じた2代目中村鴈治郎さんの頑固親父ぶりがなんとも味わい深いんですよ。

この映画の相模平野は厚木が舞台で、この中に千石屋さんが登場するのです。初めてDVDで観た時にはびっくりしましたね。おう!こんな時からやっていたんだと。調べてみたら、映画の公開が1958(昭和33)年9月2日とのこと。なんと私が生まれた日ではないですか!!!これには本当に運命を感じました。

といいますのも、和田家は江戸時代に恩名村(現・厚木市内)の村役人を勤めた家柄で、厚木市郷土資料館(現・あつぎ郷土博物館)の依頼で、学生たちと一緒に史資料調査と整理作業をやった家なのでした。その成果はすべて博物館に収めてあります。江戸時代の史料はもちろん、和田家は三河国岡崎藩(現・愛知県岡崎市)の藩士の家柄で、領地目録等の史料も残っていました。もちろん、和田傳関係資料もたくさん残っていて、戦前に農林大臣を務めた有馬頼寧(現在、競馬の有馬記念にその名前が残っています。筑後国久留米藩主有馬家の末裔で、東海大学の前身である航空科学専門学校の創立者の一人でもありました)や、民俗学者の宮本常一などの書簡を見た時などは興奮したものでした。

話がそれてしまいましたね。あの「鰯雲」にも登場した千石屋さんがなくなってしまう…。いずれはとは思っていますが、ちょっと早かったですね。

右下は今日の千石屋さんです。左下に見えるお菓子が入れてある木製のガラスケースをていねいに磨いていらっしゃいました。その後ろ姿が哀しげというよりも、何だか誇り高い感じがしたものでした。

あ、なお、このお話は昨日、5日のことです。

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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