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あと366マイル

今日は2023(令和5)年4月1日の土曜日。東海大学では入学式が行なわれました。いよいよ新たな年度の始まりです。新たな年度は私にとって最後の年度になります。本来ならば後365日と言いたいところですが、来年はオリンピックイヤーで、2月が29日までありますから366日です。ここは日にちよりも距離に例えて、残り366マイルといきましょうか!メジャーリーグベースボールでは、ピッチャーの球速は日本と違ってマイル表示ですから、なんとなくかっこいいかなと…(^^;)

現職の東海大学教育開発研究センター(当時は東海大学教育研究所)の専任教員になったのが2007(平成19)年のことで、49歳になる年でした。この年から助教授という名称が准教授に代わりましたので、私は初代の准教授です(^^)ちょうどテレビでは福山雅治さんの「ガリレオ」が放送されていて、劇中の役が「湯川准教授」でしたね。次女が高校に入学した年でもありました。それから17年目に突入するのです。早いですね。

本学の史学科日本史課程を卒業したのが1982(昭和57)年の3月で、それからすぐに大学院の修士課程に進学しました。この年から栃木県益子町の町史編纂事業のお手伝いをすることになりました。益子町史の編纂事業を担当するようになったのは、西明寺という益子町でもっとも有名な寺院(笑い閻魔で有名です)の住職(だったと思います)が本学の出身者で、その関係から東海大学が町史編纂を担当することになったのでした。私はもちろん近世の担当で、曽根總雄先生の下で学部生たちとともに資料の調査、整理そして編纂事業にあたりました。それから1984(昭和59)年には博士課程に進学し、翌年には結婚をするのですが、その1985(昭和60)年から神奈川県の南足柄市史と寒川町史編さん室町史の調査員として編纂事業に参加します。南足柄市史の編纂事業についてはなぜだったかあまり覚えていません。寒川町史と1988(昭和63)年に茨城県の龍ケ崎市史の編纂を担当するようになったのは、本学の非常勤講師であり、恩師となる白川部達夫先生からの誘いでした。また、1991(平成3)年の真鶴町史と1995(平成7)年の大磯町史は、平塚市博物館の土井浩館長のお誘いでした。その間、1993(平成5)年には小田原市史の嘱託となりました。といっても週に1日だけの嘱託でしたが…。これらの仕事を重複して請け負っていますから、一つの場所だけとはいかなかったのですが、それでもそうした勤務を許してくれた小田原には感謝というしかないですね。中世史のトップが一橋大学の永原慶二先生、近世史のトップが法政大学の村上直先生でした。南足柄市史も真鶴町史も、また大磯宿は天保14年(1843)に小田原藩領になりますから大磯町史も、さらにはちょっとだけ手伝った大井町史もだいたいが小田原藩領でしたから、私の小田原藩を中心とした研究はこの時代にたくさんの史料を見られたことが礎となっています。

こちらは益子町役場での写真です。撮影用で、かっこつけてますね(^^;)当時は史料整理で時計を外すということはなかったですね。とにかく大学を出てから1999(平成11)年まで、約17年間はとにかく古文書を整理しまくって、読みまくってという生活を続けていました。この時の体験が研究のすべてといっても過言ではないかも知れません。

1999年にひと区切りつけたのは、東海教育研究所という大学の関連会社に入って、代々木校舎の本部にある資料室(現・学園史資料センター)に出向するようになったからでした。当時、大学では創立者松前重義生誕100年事業に向けて『松前重義全集』を刊行する予定になっていたことから、その担当として編纂事業に当あるためでした。もっとも1995(平成7)年から清水校舎で一般教養を、翌1996年には湘南校舎の史学科で非常勤講師となっていましたから、ここでも2足の草鞋は変わらなかったですね。この段階で編纂事業が終わっていなかったのは、確か大磯町史だけだったかなと思います。ついでに言えば、2000年からはお茶の水女子大学の大口勇次郎先生のお誘いで横須賀市史の編纂を担当することになりました。

代々木の資料室時代はとにかく通勤がつらかったですね。40を超えた身にはとにかく小田急線の朝のラッシュと帰りのラッシュがつらかったです。転機が訪れたのは2003(平成15)年で、代々木校舎に法科大学院を開設することになったために、資料室は湘南校舎の同窓会館跡に移転することになり、とにかく出勤が楽になりました。ただ、この年は高校に進学したばかりの長女が、病気で1か月にわたる入院を余儀なくされた時のことは今でも忘れられません。

とりあえず、こうして近世の古文書ばかりを相手にしていた17年の年月から離れて、1999年からは大学史・学園史を中心とした時代に入っていきます。長くなりますので、続きは次回!

 

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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