Professor's Tweet.NET

関東近世史研究会 L364Mile

昨日のサイトで書き忘れていましたが、自治体史の成果のほとんどは通史編で活かしています。これだけあればいろんな論文が書けたはずですが、ずぼらな私はあまり論文にすることはしていませんでした。査読を受けるという恐怖感もありました(^^;)実際には査読がなくても載せることができる論文集などもたくさんあったのですが、結婚していて子どもいて、収入は自治体史の日銭と非常勤講師ですから、お金がなかったことは確かです。大学院時代の奨学金400万円も返さなければなりませんでしたから。自治体史が発行する紀要では原稿料が出ますし、史料編や通史編でも原稿料が出ますので、そちらを優先していたのも事実です。だから、新しくわかったこと、調べたことは惜しげもなく?!自治体史の、とくに通史編につぎ込んでいます。まぁ~研究史的には通史編が参照されることはそんなにないですけれどね。それだけに今となっては、やはり論文にしておけばよかったとかなり後悔しています。そうすれば博士論文も書けたであろうに…と思っています。だから、若い人には声を大にして言います。何でもいいから論文にはしておこうと!

この頃の研究生活で大きな支えになったのは、修士の頃から白川部達夫先生からのお誘いで始まった立正大学での研究会です。これには同期の井上攻君と近現代史ですが平野正裕君と一緒に参加していました。ここで立正大学の斉藤司君と出会うことになります。残念ながら2019年になくなってしまいまして、この立正大学での勉強会についてはこのサイトのブログでも触れています。ここで知り合った立正大学の先輩が青木直己さん、松尾公就さんたちでした。

白川部先生にはもう一つ、関東近世史研究会への入会と常任委員になることを勧められました。関東近世史研究会という、時代も地域も限られた研究会ですが、当時は確か400名ほどの会員がいました。今でも評議員を務めています。私が常任委員になった頃には、先輩に当時常任委員長だった岩田光太郎さんを筆頭に、大石学さん、大友一雄さん、澤登寛聡さん、佐藤孝之さん、竹中眞幸さん、泉正人さん、田淵正和さん、小松修さんらがいて、結構、圧倒されましたし、その後を含めていろいろと刺激を受けました。岩田さんらはすぐに退かれたので、その後は、常任委員の補充で結構苦労したことを覚えています。やはり女性の常任委員を入れることが重要じゃないかと大真面目に話をしたりして…(^^;)

この頃の同期や後輩に桜井昭夫さん、米崎清実さん、小高昭一さん、現会長の西木浩一さん、山本英二さん、吉岡孝さん、落合功さん、岩橋清美さん、白井哲哉さん、太田尚宏さん、針谷武志さん、関口博巨さんなどがいて、皆さん今はそれぞれの地位について頑張っていらっしゃいます。レベルが高かったなと今でも思っています。中には当時の歴史学研究会の常任委員を兼任されていた方もいたので、とにかく刺激を受けることばかりでしたね。というより、自分の無知を知らされたといった方がよいかも知れません。ただ、立正大学での勉強会で、レジュメの書き方など本格的に学んでいたのは助かりました。

とにかく関東近世史研究会では毎月、法政大学や明治大学など主に東京にある大学で研究会が開催され、年に一度大会があって、場合によっては関連する研究会とコラボすることもあります。大会のためにはそのための勉強会が別にありますし、役割分担で当時、私は編集を担当していましたので、その仕事もありました。そもそも常任委員を務めていた頃は、南足柄市史の編纂が主な仕事でしたから、そこから上京するのも大変でした。南足柄市史の編纂室は大雄山線の終点である大雄山駅の近くにありましたから、関東近世史研究会関係の仕事や勉強会があるときには、午後4時で仕事を切り上げさせてもらって、大雄山線で小田原に出て、小田原からロマンスカーで新宿まで行きます。勉強会や研究会の後はだいたい飲み会があるのが普通ですので、下戸の私もそれにつきあって、終電で帰ることもザラでした。この飲み会を含めて、ここで学んだことが、この先における研究者人生の大きな基礎となったことは間違いありません。

現在、関東近世史研究会は創立60周年を超えています。この写真は第25回の大会・総会の時のもので、1987(昭和62)年頃のものと思われます。法政大学の村上直先生が会長をされていた頃ですね。

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
モバイルバージョンを終了