1978(昭和53)年4月4日 L363Mile

今日のつぶやき
1978(昭和53)年4月4日 L363Mile

1978(昭和53)年4月4日と聞いてあることを思いだした人はある程度ご年配のファンの方…。そうなんです。キャンディーズが解散した日、解散コンサートが開催された日でした。「普通の女の子に戻りたい…」という名言を残しての解散でしたが、結局、ラン・スー・ミキの3人は復帰されましたね。ピンクレディがものすごく売れてきていた時期でした。

この日は別の思い出がありまして、私が実家のある福岡から神奈川に出てきた日でした。新幹線で上京しまして、博多駅まで高校時代の友人3名と妹が車で送ってくれました。あれから45年ですか…。あと5年で50年。すでに人生の大半をこちらで過ごしてしまいました。新幹線に乗り込むとき、涙ぐんでいた妹を思い出します。ただ、その話を以前、妹にしたら「え~?覚えとらん」と言っていました。んな薄情な(^^;)でも、そんなものかも知れませんね。

そしてもう一つ、4日は母の月命日になりました。7か月が経ちました。本当に時の流れの速さを感じます。以前も書きましたように、母は現在の八女市黒木町の生まれで、小屋山中という地名の通り、ものすごい山の中で育ちました。何せ黒木のバス停からタクシーで母の実家に帰っても、途中で下ろされましたから。先に走っていって迷子になった思い出があります。

こちらは母のアルバムにあった写真で、お盆に母の実家に帰った時に写したものです。昭和36年(1961)の8月15日ですから、私が3歳になる前ですね。昔の家はこんなふうにあがりこまちがものすごく高いので、踏み台が置いてありました。私の実家も同じです。母の愛おしそうな横顔になんとも言えない気持ちになります。この日付も母が書いたものですね。

母のアルバムには母の実家の写真が何枚かあります。

昭和の匂いがプンプンでしょう~。テレビ朝日の「ぽつんと一軒家」に出てきそうな風景ですね(^^;)向こうの山を見上げて、家の端っこは崖みたいに見えますが、正真正銘の崖です。落ちたら怖いですよ。でも、母の実家ではこの斜面にインゲン豆や柿などを植えていたのです。また、ここのインゲン豆が柔らかくて絶品でした。

この崖に朝霧がかかる日は、幻想的な風景が出現します。それもまた山の楽しみでした。ここに干してあるのはなんでしょうね?ゴザの前に3人並んでいるご婦人の一番向こうが私のばーちゃんです。「りっぱな青年さんにならやんばい」というのが口癖のばーちゃんでした。そんなばーちゃんが大好きでした。

毎年、4月4日はこの3つの思い出が繰り返されることになります。さて、来年の4月4日は何をしているんでしょうかね。それはそれで楽しみです。

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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