小田原文学館と北條秀司碑 L360Mile
少し話は戻りますが、1999年の4月から私は正式に代々木校舎の資料室(現・学園史資料セタンーター)に勤めるようになりました。年明けからバイトには行っていましたが、1999年度には寒川町史、小田原市史、龍ケ崎市史の通史編と大磯町史の資料編と4冊の刊行を抱えていましたので、とにかくたいへんでした。資料編はまだしも、通史編は1から文章を書いていかなければ生りません。おそらくこの年度は原稿用紙で600枚程度は書いたのではないかと思っています。
ただ、残念なことにこの年からは大学史という分野を専門的にやることになりますから、江戸時代史からは遠ざかることになってしまいました。2000年度からは横須賀市史が始まりましたので、新たな編纂事業には参加することになったのですが、これまでのような調査員とか執筆員とかではなくて、近世の専門委員という立場で参加することになります。常に最前線に立っていたのも、考えてみれば他に仕事がなかったから(^^;)もちろん、古文書の整理や市内の見学などには参加しましたが、あくまでも専門委員としてですので、常時ではなかったです。その意味で、横須賀市史にはかなり悔いが残っています。この話はまた後にして、ここで私にとって大きな出会いが生まれます。
北條秀司先生とその資料との出会いです。北條先生自体はすでに亡くなっていましたので、正確に言えば美智留さんとの出会いです。2000年のことでした。小田原市史の編纂で一緒だった小田原北条氏研究者の山口博さんが小田原市立図書館に異動になって、その図書館の行事として、2002年に小田原文学館に北條先生の碑を建てるという。そこで、東海大学の大学院生や学生たちで蔵書の整理をしてくれるような人たちはいないかという相談が来たのでした。その頃はちょうど大学院生として神谷大介君、目七哲史君、加瀬大君たちがいて、今でも北條資料を整理している千田聡君が研究生として在籍していました。また、当時は3年生だった薄井尚君や三森修君、山本光栄君なども手伝ってくれましたね。最初の調査が2000年の8月5日で、この時の写真は何度か載せていますので、今度は2001年5月の連休の調査から。
うちは相変わらず一家総出です。下の娘なんか小学生でしたから。蔵書のデータ入力作業、つまり目録作成はとりあえず1年目でけりをつけました。2万冊ほどありました。その蔵書たるやすさまじいものです。蔵書のデータ入力作業が終わったら、小田原市立図書館からは今度は資料の整理をお願いしたいという話が…。まぁ~これが膨大すぎて、未だに終わっていないというのが現状です。
ともあれ、ある程度片をつけて、2002年10月に小田原文学館に予定通り北條先生の碑が建てられ、29日には除幕式が行なわれました。
「まだ尽きず 八十六の作家の 業 秀司」
現在でもこの碑は文学館に建っていますので、もし行かれる方がいたらぜひご覧になってください。
除幕式には森繁久彌さんや緒形拳さん、新派の2代目水谷八重子さん、波野久里子さんらがお祝いにいらっしゃっていました。
こちらは森繁さんを緒形さんがお迎えになったところです。余談ですが、森繁さんが文学館をリンカーンコンチネンタルで後にされるときに、山口さんとうちのかみさんでお見送りしたのは、今となってはよい思い出です。
いずれにしてもここから近現代の芸能史とでもいったらよいのでしょうか。私の新たな研究の日々が始まりました。ただ、これまでどうもそれが片手間であった感は否めません。
投稿者プロフィール
最新の投稿
- 今日のつぶやき2023年10月2日一炊の夢 L188Mile
- お知らせ2023年9月12日秋の北條秀司展 L257Mile
- 今日のつぶやき2023年6月29日夏色 L281Mile
- 今日のつぶやき2023年6月21日あつぎ郷土博物館 L289Mile
コメントを残す