大学史のこと 全国大学史資料協議会のこと L354Mile

今日のつぶやき
大学史のこと 全国大学史資料協議会のこと L354Mile

昨日、全国大学史資料協議会会報『大学アーカイヴ』No.68(2023.3.31)を見て、初めて名誉会員だった松崎彰さんが昨年の10月18日に亡くなっていることを知りました。ショックでした。

以前にも書きましたように、私は1999年4月1日付で株式会社東海教育研究所に入社し、そこからの出向という形で、当時、代々木校舎にあった東海大学資料室(現・学園史資料センター)に勤務することになりました。そこで初めて全国大学史資料協議会なる団体があることを知りました。それも東日本部会と西日本部会に分かれていて、秋に全国大会・総会、5月に東日本部会大会・総会、年に3度ほど東日本部会での例会や見学会といった活動があることを知りました。東海大学は当時から幹事校を務めていて、5月の部会大会・総会に参加したのが最初の出会いだったかと思います。部会大会の後には懇親会があって、その後はまた飲み会。こんなことはすでに体験済みでしたが、また、新鮮な出会いがありました。大会でも例会でもその後の飲み会でも松崎さんはいつもニコニコしていて、でも情熱的で博識でいろんな話をしてくださいました。何せ新たな環境で右も左もわからなかった私にとって、松崎さんは何より大学史の「資料室」業務に関する偉大なる先達でした。

『松前重義全集』の刊行という新たなプロジェクトを担うことのプレッシャーもありましたが、何より資料室の資料整理のあり方にも運営にもいろいろと疑問がありました。それはまた後述することにして、とにかくまず見学に行かせてもらったのが、松崎さんが勤務される中央大学の資料室でした。その際に資料整理のあり方はもちろんのこと、本当にたくさんのアドバイスをいただきました。ただ、私自身はまだまだ近世史研究者としての自負がありましたので、なかなか業務になじめなかったという面もありました。

松崎さんは大学史資料協議会の東日本部会の立ち上げに尽力され、さらに西日本部会の創立についても関係された上に東西部会を統一化した「全国大学史資料協議会」の創設にも尽力されるなど、本当に情熱的に精力的に大学史の組織化に力を尽くされたと伺っています。私は新参者でしたから、後からそのことを知りました。さらに驚いたのは、松崎さんが中央大学では嘱託だったということでした。それが最後には災いしたのでしょう、2008年に中央大学が幹事校から退くことになりました。松崎さんは図書館に異動されるということでした。その後、さる大学の大学史の担当者として専任になるとのことでしたが、それも突然、反故にされるというように運命に翻弄されることになります。このあたりのことについては、元神奈川大学資料編纂室の澤木武美さんや元武蔵野美術大学大学史史料室の石田順二さんが書かれていました。2007年に私は専任になって教育研究所に配属されましたが、主に学園史資料センターの業務を担っていましたので、間近にみていたはずでしたが、お二人の手記を読んで鮮明に思い出しました。そう言えば、確かに2007年頃から中央大学のようすがおかしかったなと。

大学史についてといいながら、何だか松崎さんの思い出話ばかりになりましたが、それでも思い出は尽きません。1999年に資料室に着任して最初の全国大会の会場は金沢大学でした。私にとって初めて金沢でもありました。先々についていろいろと考えることがあって、懇親会の会場からそっと抜け出して、金沢大学構内のベンチに寝転がって見上げた夜空が、どんよりと曇っていて真っ暗だったことは今でも覚えています。

大会は3日間ありまして、3日目が見学会でした。日付を確認したら1999年9月22日となっていました。最終日の見学会です。松崎さんは大きなバッグを肩に担いで何やら説明していらっしゃいます。残念ながら後ろ姿です。

ただ、この後、当時、金沢経済大学で教鞭ととっていられた白川部達夫先生に金沢を案内してもらったのはよい思い出です。お昼に鮎の会席をいただいたのも覚えています。落ち鮎の季節でしたが、金沢では鮎料理も有名で、江戸時代には前田家から将軍家へも献上されていました。江戸からは距離がありますので、11月に塩鮎にしての献上品でした。当時、そんな将軍家への献上に関して興味を持っていましたので、とくに美味しくいただいたものでした。

大学史資料協議会についていえば、松崎さんの盟友であった東京大学史料室の中野実さんのことも忘れられません。資料室に勤務してもう1か所訪ねたのが、中野さんのところでした。当時、東大の史料室は安田講堂にあって、「これが学園紛争の頃、テレビで見た安田講堂か…」と妙に感激したものでした。中野さんは安田講堂を案内しながら、いろいろと話をしてくれました。中野さんも情熱的な方で、飲み会の席で「馬場君、一緒に大学史を盛り立てていこう」と声をかけてくださったことは今でもはっきり覚えています。そんな中野さんは2002年に若くしてお亡くなりになりました。これも大きなショックでした。私の後輩で、資料室の先々代勤務であった日露野好章君も亡くなりました。日露野君も大学史資料協議会の創設に尽力していて、松崎さんもずいぶんとかわいがっていました。中野さんも日露野君の葬式の時にも松崎さんと一緒でした。松崎さんのお父さまが亡くなった際にもお悔やみに行ったのに、その松崎さんが亡くなっていたことを今頃知るなんて…。

会員ではあるものの、今は大学史資料協議会とはすっかりご無沙汰となってしまいました。学園史資料センターは今も幹事校として、椿田卓士君が中心となって頑張ってくれています。これからも盛り立てていって欲しいと切に願っています。

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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